日曜朝、ガタイのいい青年らがジムの中に入ってきた。
どこからどう見てもラガーマン。
そうなれば家内はじっとしていられない。
まるで古くからの知り合いといった感じで家内は彼らに話しかけた。
聞けば案の定、ラグビー選手。
関学の2年生だという。
奇遇にも長男と同じ学年である。
芦屋ラグビーの仲間が関学にも数多い。
共通の話題に事欠かず、場は自然と盛り上がった。
わたしはそんな会話を向こうに聞きながら大胸筋を鍛えていた。
昔なつかしのチームメイトらはみな元気にやっているようだ。
弾む会話に朗らか耳を傾けていると、電話が鳴った。
長男からだった。
英検一級の面接試験がたったいま終了したとのことだった。
「ベジタリアンと食糧危機」。
うっかりそんなテーマを議論のトピックに彼は選んでしまった。
肉食をもっぱらにするうちにとっては耳の痛い話である。
果たして彼は菜食主義を懐疑して肉食こそが食の在り方の本来であると主張して、食糧危機の回避という結論へと話を運ぶにはあまりにも筋の悪い初手を放ってしまった。
英語での会話自体はしっかり成り立ったが、面接委員らに論破され彼の論旨は乱れに乱れた。
どんまい、結果は蓋を開けてみるまで分からない。
そう励まし電話を切った。
帰途、家内とミート甲子園に立ち寄った。
この日も店主が奥から取っておきの品を出してきてくれた。
もちろんそれを選んで、その他もおすすめに従った。
その足で十一屋に寄り赤ワインを二本選び、ライフで野菜を見繕った。
家で手分けし、早速昼の支度を整えた。
家内と食べるが、肉のおいしいことといったらなかった。
いついつまでもこんな肉が食べられるよう、わたしたち夫婦はミート甲子園の心優しい店主と女将の長寿を心から願った。
そして、話題はいつものように子らのことに行き着いた。
兄が弟に与えた影響。
そんなテーマでの話になった。
能力は大半が遺伝的要素によって規定される。
しかし、振る舞いの様式は身近な他者による影響が大だろう。
そういった前提で考えれば、同じ屋根の下で暮らした歳の近い存在。
弟からすれば兄が最大の見本になったはずである。
間違いなく、兄は弟に正の作用を及ぼした。
例えば芦屋ラグビーでは、兄は2学年上のチームの主力だった。
同じフィールドに、動きで目立って声のでかい兄がいる。
幼い弟の目に強くでかく頼もしく映ったことは疑いようがない。
弟の胸のうちある種リスペクトの念が芽生えたはずで、だから、兄の行動様式を弟は弟なりの仕方で踏襲しようとしたに違いない。
兄の行動様式を一言にすれば、堂々と向かっていく陽性、というものになるだろうか。
虫取りでも魚釣りでも水泳でもラグビーでも受験勉強でもそして英語でも同様。
気後れすることなく、飽くことなく、とことん食らいついていく。
意気揚々てらうことなく先陣を切る兄がいたから、当たり前のように弟もそれにつられて明るく威勢よく前へと踏み出すことができた。
そして、後攻め有利の法則がここになり立ち、幾つかの点において弟は兄を凌駕するに至った。
もしお手本が卑屈で虚弱、その不足を小ウソで補うような陰性の男であったなら、より一層縮むといった負の作用を受けかねなかっただろう。
そのように近親の者は貴重で重要。
参照できるロールモデルがあるのとないのとでは大違いということになる。
終始、弟の目から見た兄という視点を通じ昔話で盛り上がり、昼を食べ昼寝し目覚めて昼と夜の境なく夕飯を食べ、ワハハ笑って肉ばかり食べるよき日曜日となった。