ヨガに勤しむ家内を家に残し、わたしはひとりジムへと向かった。
時間が遅かったせいか仕事帰りの人で混み合っていた。
特にOL風の女性が目立った。
人の動きを見ながらマシンが空くタイミングを推し量り、陣取った際には長く居座り、じっくり筋トレだけして引き上げた。
途中、駅前のコンビニに立ち寄って缶ビールをひとつ買い、路上に立ってビールを開けた。
川の流れでも眺めるみたいに、家路を急ぐ人の群れに目をやってビールを喉に流し込んだ。
生きている、というありありとした実感が身体中に広がっていった。
ぼくらはみんな生きている、生きているから悲しいんだ。
そんなフレーズが夜に似合いのジャズっぽいしらべで頭に流れた。
リビングではまだヨガのレッスンが続いていた。
が、いつのまに用意したのか夕飯の支度は整っていた。
あれこれヨガのポーズを決める家内を横目に食事していると、そのうちヨガが終わってレッスンは英会話に切り替わった。
ボスニア・ヘルツェゴビナの講師が画面に映り英語が行き交った。
このところ家内のエネルギーが朝な夕な英会話に費やされ、それで日頃の口数が減るかと思いきや、楽しくて仕方ないようなので2万語が陰ることは一切ない。
まもなく二男が帰宅する。
夜食を作り、話すことも山ほどある。
そのタイミングに合わせ、家内はウォーミングアップの仕上げの段階に入っているに過ぎないのだった。