朝6時、家内が活動を開始した。
弁当の支度をしながら朝食を作り、合間の30分、英会話のレッスンを受講する。
人気講師を予約するには時間を問えない。
だからこのように家事の合間に突如イングリッシュタイムが差し挟まることになる。
家内の明るい声を聞きながらわたしは思う。
とても真似できない。
見知らぬ人と話すだけでも身構えるのに、そのうえ英語となればわたしならもはやどうしていいか分からない。
まもなく息子が起き出し階段を降りてくる。
彼からすれば見慣れた光景。
英語が上手になったねと家内を褒め、会話に軽やか首を突っ込み言葉を交わす。
家内と同様、上の息子も毎日のレッスンを欠かさない。
様々な国の講師と家内は話すが、兄貴の場合ははるかその上のレベルを行くから相手がネイティブでないと英語の学びにつながらない。
そのような母と兄を見て、それが自然な光景なのだと弟の目には映っていることだろう。
だから当然、受験が終われば弟もこの英会話に参戦することになる。
コロナが収まる数年後、彼らは大いに飛躍するに違いない。
わたしは阿倍野か立花の正宗屋でひとり静かに過ごすことにする。