業務を終え、京都に向かった。
待ち合わせ場所は伊勢丹。
地下のフロアをぶらつく家内を見つけ、横に並んだ。
その昔、京都伊勢丹の地下食を横並びで歩くなど不可能なことだった。
フロア全面が人で埋め尽くされ、気弱な者なら身動き取れない。
それくらいの混みようであったから、わたしは足を踏み入れることさえしなかった。
呼吸も楽にのびやか歩いて買い物を終え、続いては隣接するイートパラダイスに向かった。
ここも同様。
かつてはどの店も長蛇の列であった。
が、この日、客らしき人影はどこにもなかった。
存在感があったのは順を待つための丸椅子のみ。
壁伝いに隙間なくずらりと並んで、それが何か旧跡の展示物みたいに見えた。
ハシタテがすべて空席、中村藤吉もすべて空席。
誰か政府要人が来て人払いでもしたのかと思わせるほど。
われら下々の民は京都屈指の名店を貸し切ってひとときを過ごしたようなものだった。
帰りはJR新快速。
横に座る家内がインスタの動画をあれこれ見せてくれあっと言う間に尼崎に到着した。
尼崎で途中下車したのは、その日の朝に食べた肉がとても美味しいと二男が言ったからだった。
もっと買っておこうと家内が言って、阪神百貨店たか橋を再訪し息子のため1kgばかり買い込んだ。
小雨降るなか家に帰って先に風呂につかっているとインターフォンが鳴った。
家内が階段を駆け下りてきたのは、何か食べ物でも届いたと思ったからだろう。
が、玄関先に立っていたのは読売新聞の販売員だった。
1月で契約が切れ先日更新を断ったばかりだった。
にもかかわらず、なんとか再契約をと頼み込みに来たのだった。
半年前は初老の女性が勧誘に訪れた。
力になってあげたい。
家内はそう思い6ヶ月契約の書類に判を押した。
今回現れたのは三十代くらいの女性。
雨脚強まるなか、彼女が乗ってきた自転車の後部座席には子を乗せる荷台が設置してあった。
家内もかつて前と後ろに子を乗せて自転車で街を縦横に駆けた。
当時暮らしは楽ではなく、子らはやんちゃでその労苦に輪をかけた。
荷台を目にし家内は心を動かされかけたが、この半年を振り返ってなんとか思いとどまった。
新聞が二紙も届くとかさばって、その嵩を目にするだけで憂鬱になった。
それにほとんど誰も目を通さないのに、毎月お金だけは落ちていく。
申し訳ありませんが、と家内は断った。
後味は悪かった。
そんな顛末を家内から聞いて、わたしの頭にも荷台が浮かび、胸が少しばかり痛んだが、思い直した。
彼女らは懇願しているように見えて、何も物乞いをしている訳ではない。
ダメ元がデフォルトでたまに当たれば僥倖。
それですべての試みが報われる。
だから、期待感に打ち震えつつ確率の海に漕ぎ出した勝負師も同然。
そこには嬉々と高揚する感情があるはずで、ニ匹目のどじょうを探すなど彼女らからすれば基本中の基本。
だから時期を見てまた姿を現すに違いない。
こちらとしては単なる御用聞きくらいに思って淡々と断ればいい。
その方が向こうにとっても手っ取り早い。
何しろ当たりを秘めた他の漁場が待っている。
要は数打ちゃ当たる確率の話。
そのうち誰かが当たりを献上するのだから心配無用。
夫婦でそう考えることにした。