芦屋からロックガーデンに分け入って六甲山頂を経て後はひたすら下る。
のべ四時間ほどで有馬温泉に辿り着く。
土曜日、二男はこの行程を大阪星光66期の仲間数名と共にした。
昨年夏、長男も久々再会した西大和の友人らと連れ立って同じ行程を歩いた。
体育会男子は間違ってもUSJなどに群れ集わない。
山に登って湯につかる。
それが定番。
山を降りると目の前にかんぽの湯がある。
そこが手近であるが、少し足を伸ばしたところにいいお風呂があって、かんぽの湯より静かで落ち着く。
問い合わせると緊急事態宣言も解除となって普段どおり使える、是非お越しくださいとのことだった。
だから、わたしは二男に勧めた。
風呂ならそこがいいよ、と。
受験勉強から解放された一団は山に癒やされその親睦はより一層深まった。
別れを惜しむ場のクライマックスが風呂。
さあ湯につかろう。
笑顔でその旅館を訪ねたが、そこで彼らを待ち受けていたのは、にべもない拒絶であった。
コロナ感染対策上、いま都合が悪い。
ひと気なく、どこからどう見ても閑散としていたが、混み合っているとのことだった。
時間はいくらでもあったから、待ちますよと言ってみた。
が、待たれても困るといった迷惑そうな表情が返ってきただけのことであった。
有馬温泉の敷居は高い。
数年前、わたしと家内もとある老舗旅館で昼を断られた経験があった。
山を降りてきたばかりで小汚く見えたのだろう。
登山客お断り。
はっきりそう言えばいいのに、含意を汲み取るよう遠回しな表現を向こうは繰り返すばかりだったから、後味の悪さだけが残る思い出となった。
高校を卒業したばかりのクソガキなら尚更。
君たちは一人残らずクソガキ、温泉に入るなど百年早い。
そう有馬が教えてくれたようなものであり、これから大学生になる節目、貴重な学びを得たと言えるだろう。
常日頃から言ってきた。
わたしたちは下々の身。
そう言い聞かせて謙虚に生きよう。
大浴場からも締め出される。
ふとした拍子でわたしたちはそんな立場になり得るのである。
撥ね付けられることは不快だが、その苦味を知ってこそ受け入れてもらえた場合の有り難みを知ることができる。
上京前、実にいいレッスンを受けたのだとこの拒絶を心から喜ぼうではないか。