家族4人がラインで繋がっている。
この日の午後、長男がメッセージを発しそれが合図となって、各自それぞれの場所にて一つの画面に集まった。
大使館でのインターンシップがいよいよ始まる。
様々なスケジュールが組まれるなか、来週は大使に随行し国会議員とのミーティングに参加するという。
皆が手を止め、長男からの情報を注視し、好き勝手、会話が行き交った。
調べるとその議員は早稲田出身。
弟が早稲田です。
そう売り込んでおくようにとわたしが言い、着ていく服はあるのかと家内が質問を向けた。
そんな会話に関係なく、あそうそう、おいしい紅茶とクッキーを送ってくれと二男が家内に言って、それで話は横道に逸れ、紅茶の銘柄についての話となった。
紅茶についてわたしは門外漢。
言葉を差し挟めず、やりとりを眺めて思った。
こういった会話がこの家族を形作ってきた。
ひとつ屋根の下、一緒に暮らしていたときからそう。
何やかやと取り上げる話は、下々の民にしては曲がりなりにも前向きで多少なり中身のある内容だったように思う。
わたしは本や映画の話をしたし、烈々とし誇らしい友人らの話をした。
家内は家内で国家資格を取得したり耳つぼマッサの施術を修得したりヨガに励み英会話に勤しんだりなど、いろいろなことに積極的に取り組み、その過程で抽出された実のあるエピソードを面白おかしく事あるごとに語った。
様々な話が混ざっていても、その中心線は真面目に保たれ、やはりそういった類の話による触発というものはなきにしもあらずであったのだろう。
もしわたしが遊び歩いて下賤な発言ばかりし、家内がそこらをほっつき歩き人の噂話や下世話な話ばかりしていたら、子らに疎まれ、しっかりと交差するような会話流路の生成はなく、離れれば離れたっきり、家族の繋がりは薄っぺらなものになったに違いない。
幸い、互い実にいい話し相手として構成される家族となった。
何の取り柄もない凡庸な家族ではあるが、楽しくポジティブな会話がその実質を成すのだとすれば、それで十分だと思える。