天気が心配されたが明け方には雨があがって、その後はずっと曇り空が続いた。
午後になって式が始まり、わたしたちは墓前にて手を合わせた。
ふと横をみるとそこに母がいるとしか思えない。
やはりわたしたちはまだその不在を呑み込めていないのだった。
無彩色の光景のなか読経の声が単調に響き、目に浮かぶのは明るく元気な母の姿だった。
コロナ禍の影響があって今年の元旦は実家に親戚を招かなかった。
いたって静かな正月を過ごし、母は言った。
「ああ、この正月はほんとうによく眠れた」
納骨式を終えた後の車中、誰もが無言だった。
ハンドルを握りながらわたしは母のその言葉を思い出しいま安らかであることを切に願った。
実家で解散し、わたしたちは帰途についた。
家内と二人で遅めの昼食をとり、途上、熊野の郷に寄った。
風呂にゆっくり入らせてあげたい。
最後に強く思ったのは、日常でならありふれたごく些細なことだった。
ひととき湯につかり、叶わなかった思いを何度も反芻した。
風呂をあがって家内を待つ間、この日、立会の人が撮った式の写真や動画を二人の息子に送った。
実家を訪れると、母はよく彼らを誘って近所の市場を連れて歩いた。
やんちゃで不出来な二人であっても、母からすればかわいくて仕方のない孫だった。
母が二人を見守ってくれている。
そんな確信に導かれ、愛嬌たっぷりの母の笑顔が頭に浮かんだ。
ここに至ってようやく無彩色の一日に色が灯った。