親父と飲む。
そう言うと、家内が差し入れを作ってくれた。
肉は柔らかい方がいいのですき焼き用を焼き、父の好きな太刀魚を焼き、エビを揚げた。
野菜もとれるよう煮物も添えた。
わたしは実家近くの寿司屋に電話しテイクアウトを二盛り頼んだ。
土曜夕刻、家を出て実家に向かった。
母を亡くしまもなく一年になろうとする。
いまもって似た面影の人を見かけると母を想って涙が滲むが、感情にはチャンネルがあり、場面ごと切り替えてなんとか明るく日常を過ごしている。
父の喪失感はわたしとは較べものにならないだろう。
ぽっかり胸に穴が開いて塞がらない。
そんな状態が続き、しかし、気丈に見せているという風に見える。
実家に着くと、案の定、父はわたしたちの気遣いを詰った。
なんでこんなによおさん作ってくるねん。
寿司だけでええって言うたやろ。
毎度のことなのでわたしは聞き流す。
というよりも、一言一句を聞き届ける。
どれもが貴重な言葉と思えば腹も立たない。
いまはまだ動ける。
だから余計な気遣いは無用。
気遣いは、身動きできない要介護状態となったときからでいい。
それが父の理屈で、だから気遣われると条件反射のように、それに異を唱えるのだった。
寿司の折詰を開けて、また言った。
なんでこんなええ具のもんを買ってくるねん。
二千円はしたやろ。
スーパーの七百円のでええねん。
内心嬉しい。
父の気持ちが分かるから、わたしはまたも聞き流す。
一人前が四千円だとはもちろん明かさない。
お決まりの問答を経て、わたしは持ち込んだビールを開けて父のグラスに注いだ。
夕飯の晩酌だけが楽しい。
そう父は言って、家内が焼いた肉を食べ、エビを食べ、魚を食べ、おまえの嫁さんはほんま料理がうまいなあと嘆息した。
日本酒を燗した頃合い、孫らの話になって、母を偲んだ。
孫らのいい場面、いいニュースがこれからも引き続く。
母と一緒に家族の喜びを分かち合いたかった。
実家でだけはチャンネルの替えが利かない。
やはりこの夜も涙なくしては過ごせなかった。