最初に頼んだウーロン茶のグラスがまもなく空いた。
店員が二男に声をかけた。
お飲み物はいかがいたしましょうか?
二男は言った。
お冷やをください。
何でも好きなものを頼めばいい。
わたしはそう水を向けるが二男は首を振った。
特に飲みたいものはない。
お金の無駄になるから水でいい。
そう言えば、長男も同様。
要らぬものを頼まない。
昔から一貫しているから子育ての過程で身についたスタイルと言っていいだろう。
幼い頃は各自に水筒を持たせた。
おかげで自販機を物欲しそうに眺めるといったことから二人は無縁だった。
経済的な余力がなかったせいでジュースであれお菓子であれみだりに買い与えるといったことができなかった。
それが幸いして、二人の息子は渋めの経済観念を有する脇の固い男子になった。
貧乏が良き導き手となって、その教えは揺らがない。
素っ気ないほど自然に、お冷やと答える。
そんな息子の姿をわたしは実に頼もしいと思う。
「あれを買って、これを買って」
もし将来そう迫られることがあっても、彼らは毅然と振る舞うに違いない。
訳の分からぬ散財に付き合わされて足元を崩されるといったことは起こり得ない。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言うがうちの場合、タダで若いときの貧乏にありついた。
それはとてもラッキーなことだった。
女房には苦労をさせたが、息子たちにとっては願ってもないことだった。
そう思っていいのだろう。