KORANIKATARU

子らに語る時々日記

親のスタイルが集積する場所

内面と外面だけでなく様式も継承されていく。


息子の部屋の写真を見るとコルクボードが掛かっている。

素っ気ない天板だけの机の上に置かれた筆記具は2Bの鉛筆でノートの大きさはA4。


わたしの作業まわりと酷似している。


効率を考えれば机はでかく簡素な方がよく、長時間の作業を思えば手にする筆記具は軽く柔らかく即座に書ける鉛筆が好ましく、ノートの紙面は大きい方がのびのびと書けて出力が多くなる。


タスクは消化が促されねばならず、そのためには目線の位置に貼って視界に入れることが効果的で、遠慮会釈なくそのメモを突き刺せるから仕留める前段階としてコルクボードが相応しい。


加えて、パソコンはマック。

頑丈で速く、使ってとても気分がいい。


このような作業まわりを目にするだけで、他人ではないと分かる。


やはり、子育てにはスタイルの継承という側面が含まれる。


目に見える部分だけでこれだけ共通するのだから、不可視な部分や言外の領域の共通は膨大と言えるだろう。


仕草や言葉遣い、飲み方や食べ方やものの考え方、人との接し方やものの買い方といったことまで似通うとすれば、子がどんな人物になるのかについて親の影響は計り知れないということになる。


ほとんど無意識のうち、より良いスタイルを親は模索し子に伝え、子は子でそれを体得しやがては更に良いものを見い出していく。


そんなプロセスを通じ、親子ともども良いものになっていくと考えれば、スタイルの継承は進化の原理の一角を占めると言っていいのかもしれない。


そして、俯瞰して見れば、親のスタイルの集積する場所が学校や近隣社会と言え、となると、親は子を通じ多少なり他の子にも責任を負っているという話になる。


他の地域、他の学校で子が育っていたらどうなったのか。

比較対照できないから想像するしかないが、何かが様変わりしていたとしてもおかしくはない。


住む場所と通う学校に深くこだわるのもやはり意味あることと言えるのだろう。

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