日記だと好きなことが書ける。
誰はばかることなく単なる思いつきや空想の類を描いて楽しむことができる。
現実の外に広がる真っ白な余白を縦横無尽、好きに動いてはしゃぎ回れる、こんな自由な場所はそうそうない。
息子の試合の動画を見ていて、ふと思った。
2019年東大文一の入試科目が英数国とラグビーだったら。
ひとつひとつは大したことがなくても、取り柄だけを寄せ集めれば、そこそこいい線に達する。
国語は差がつかないのでおくとして、英数はかなりの仕上がりだったから十分戦え、もし時の運、数学で多少取りこぼしていたとしても、ラグビーで補えてなんとかなったのではないだろうか。
更に空想が広がっていく。
2021年東大文一の試験科目は英数国とフィールドホッケーというのがいい。
であれば、国語に死角なく兄以上に英数ができたから、もし当日数学で冴えなかったとしても、フィールドホッケーでコケることは考えられず、基準ラインを楽々クリアできたに違いない。
ああ、日記は楽しい。
実社会の基準ではなくうちの基準で考えて、得意な品揃えだけで入試に臨む。
およそ非現実的なことであれ、そんな世界を思い浮かべてその痛快にひたることができる。
しかし、ひととき空想と戯れ現実に戻ってその現実をつぶさに見て気づく。
別にこれはこれで悪くない。
敵わない相手がいると痛烈に知らされて、前列やや後ろ寄りのスタートではあっても、未来への道はまだまだ続き、実世界と地続きの余白がそこにある。
試験科目が、お行儀、従順さ、ルックス、育ちの良さなどではなくほんとうに良かったという話である。
そうであれば、お先まっくら人生先細り路線まっしぐらということであったかもしれない。
息子が6年生となるとき芦屋ラグビーのあるコーチに言われた。
「勉強なんかよりラグビーの強い学校に入れてあげてください」
そんな助言を嬉しく受け止め、しかし親は受験に重心を置くとの選択をした。
6年のときラグビーから引き離さなければラグビーばかりしてうちの場合、中学受験との両立は難しかっただろう。
ラグビーの強い学校に入れていればどうなったのだろう。
これまた空想。
活躍したとの絵も浮かぶが、映画や書物について話す息子の姿は掠れて消えて、英語を流暢に話す姿もかき消えて、ラグビーに入れ込み過ぎて怪我でもした日にはといった痛々しい姿もよぎってそれはそれで物悲しい。
空想から現実に立ち返ってこれまた気づく。
これでいい。
幸せの青い鳥がいるのは、ここ。
日記にはそんな探索機能もあるようだ。