引き続き疲労を背負ったまま外を回った。
視界にかすみがかかったように感じられ、ものを考える気になれず気持ちも沈んだ。
嵩じて慢性化すれば鬱といった話になるのだろうと思われた。
途中、近くを通りかかったので実家に顔を出した。
母がおらず、やはりそれが不自然なことに感じられた。
実家に不可分の存在であった母が不在、そんな状況に馴染める訳はないのだった。
寒いのであまり出歩かないように。
そう父に伝え、小一時間座って実家を後にした。
鶴橋で途中下車してアジヨシで昼にすることにした。
疲れていても食欲が減退することはない。
不思議なものである。
母の好物であるからいくら寒くても冷麺を選ぶのは当然の話だった。
そして、冷麺は肉を食べた後にその美味しさが増す。
だからもちろん付け合せとして肉も頼んだ。
いつだって懐かしい。
そんな美味に向き合って一口一口味わって食べた。
本町にて業務を終え夕刻、ようやくマッサージ屋に寄る時間ができた。
まっすぐ野田阪神に向かい、二週間ぶりにマッサージを受けた。
背中に手が置かれただけでホッとした。
なんて気持ちがいいのだろう。
ひと押し、ひと押しに芯からじんと来て、全身にスムーズに血が通うことの幸福にひたった。
グリップ感というのだろうか。
現実と取っ組み合って、その上手をがっちり掴む。
疲労があるとその感覚が弱って、現実が手をすり抜けていくようで何とも頼りない。
こうなると勝利の女神に見放されたも同然で、あとは坂を転げ落ちるだけとなる。
だから、踏み止まるため人の手を借りねばならない。
マッサージ屋を出てカラダが軽く気持ちも弾んだ。
それで家内に電話をかけた。
どこかで待ち合わせて食事しよう。
家内はそのとき、きじ歯科にいた。
ちょうど歯のメンテナンスを受け終えたところだという。
寒いから家で食べよう。
家内がそう言うのでそうなった。
帰途、行きつけの魚屋で夕飯の足しにするための刺身を買って帰宅した。
家で合流し、家内が手巻き寿司の準備にかかった。
その光景に既視感を覚え、気がついた。
去年の節分の日も手巻き寿司だった。
似たような日々が続いて一年がたちまちのうちに過ぎ去った。
しかし、そこには大きな変化がもたらされていた。
次の一年を経て振り返ったとき、何事もなくこのままであることを切に祈るような気持ちになった。