KORANIKATARU

子らに語る時々日記

あれから八年もの歳月が流れた

週末金曜、わたしは事務所の自室にこもって仕事に勤しんだ。

 

家内が手伝いに来て、自転車を駆って東奔西走し、事務所に戻っては皆のためお茶を淹れた。

自室の向こうから談笑が聞こえてくる。

 

お茶がありお菓子がありお弁当があり、なによりたくさんの仕事があって、皆で力を合わせ明るく前向きに取り組んでいる。

そんな事務所の雰囲気が家内によって際立って、だからわたしはしみじみと思った。

 

自宅と職場が暮らしの主要を占め、どちらも居心地よく、日々の手応えを確かなものにしてくれる。

息子らは東京で暮らすが家族の一体感は更に増し、職場には強みを有する個性が集って実に心強い。

 

どちらにおいても家内の奮闘と気働きがあってこそ。

幸運の女神は、飾り気なくごく普通、一般人の姿形をしていたのだった。

 

夕刻、皆より先に仕事を切り上げ、家内と北新地に向かった。

善道を訪れるのは二年ぶりのことだった。

 

定番のメニューを頼んで、夫婦の感想は一致した。

やはりここの中華が一番おいしい。

 

善道を知ったのは、八年前の四月のことだった。

吹田にてグレート・ギャツリー宅の新築祝いが催され、その広々とした庭で、善道が屋台を設営し中華を振る舞っていた。

 

そう言えば、そのとき鮨さえ喜も庭で寿司を握っていた。

このほど京都二条城の城下に移転したとのハガキが届いていたから、八年というのはちょっとした歳月であると言っていいだろう。

 

吹田邸宅の庭で談笑する友人らの笑顔も思い浮かぶ。

八年で皆の幸福度は一様に高まって、だから様々な意味であの庭での賑わいは記念碑的なものと言えた。

 

家庭と職場と友人たち。

わたしはすべてに恵まれた。

先日、実家に寄った際、親父がわたしに言った。

おまえはほんま幸せそうやな。

 

そう言われればそうなのかもしれない。

生きるために必死のパッチ。

そんな形相で過ごしてきたつもりであったが、気づけばドンパチは鳴り止んで、最も厳しい難所は越えたのかもしれなかった。

 

麻婆豆腐を最後に頼み、だから当然、しめは白飯だった。

家内と分け合い、食の満足感も相俟って静か心が満ち満ちた。

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2022年3月25日 北新地 善道 しめは白飯