KORANIKATARU

子らに語る時々日記

時間の波が長大な絵巻となって目に映る

墓参りを終え、父を家まで送った。

 

その帰途、鶴橋の入船寿司に寄った。

昼時を過ぎても客が絶えない。

行列をかいくぐって注文し、特上二人前をテイクアウトした。

 

まもなく家内が現れた。

路上の車中。

公衆の面前にて二人並んで寿司に舌鼓を打った。

 

食後、お茶にしようと上本町のなかたに亭を訪れた。

ケーキを食べて一息入れ、そして近鉄百貨店で食材を選んだ。

 

夕刻、実家へと向かい、家内は食料を運び込み、わたしは獺祭の一升瓶を携えた。

肉を焼き、スープを作り、魚を焼くなどあれやこれや家内が料理を作り、わたしは父にお酒を勧め、自身はノンアルビールをぐびぐび飲んだ。

 

三人で食卓を囲み、やがて家内も父と一緒に獺祭を飲み始め、会話が盛り上がりお酒が進んだ。

 

大昔のこと。

行商に従事する以前、祖母は海にもぐって海産物を採っていた。

それが生計の要で、幼い父は年端も行かない頃からその仕事を手伝った。

 

父の話が映像となって頭に浮かぶ。

 

各地の海を母が巡って、ある夏休み、少年はひとり母を訪ねて列車に乗った。

小学3年か4年生の頃のことである。

 

三島で列車を降り、熱海でまた列車を乗り換えた。

向かうは伊豆の稲取で、その海で母が仕事をしていた。

 

少年は母を手伝い、ひと夏をそこで過ごした。

手伝うと言っても、母が海に潜る間、岩場でじっとその様子を見つめるだけで、海産物を背にして運ぶときだけ母を手助けすることができた。

 

そんな話をわたしははじめて耳にして、先日夫婦で伊豆を訪れたばかりだったから、その符号に不思議を感じた。

 

岩場でじっと海を眺める少年と眼前の父とが重なり合わさる。

父が経てきた時間の波が、長大な絵巻となって目に映り、わたしは心から祖母や父をねぎらうような気持ちになった。

 

皆が皆、打ち続く波を乗り越えてきた。

この血を継ぐのであるから、何があっても大丈夫。

 

わたしたち夫婦の脳裏に結ばれる像は同じ。

ふたりの息子たちのことであった。

2022年5月19日 入船寿司を車内で食べて上本町なかたに亭