明石にて業務を終えて電車に乗った。
右手に海を見ながら、着信のあったメールに返事をしていく。
母の日のギフト特集というメールに目が留まった。
一年前のことが思い出され、視線は自ずと海へと向いた。
母が体調を崩したのはちょうど去年の今頃、GWに差し掛かろうとする時期だった。
大したことではない。
最初はそう思っていた。
症状が悪化し集中治療室のある高槻の病院に運ばれた後も、これで大丈夫と希望が過半を占めていた。
最先端の医療を受け、母はすぐによくなる。
母の日までには帰ってくるだろう。
わたしはひとり勝手にそう見通した。
家族みんなで回復した母をねぎらい、母も笑って、また元の日常が始まる。
そんな光景を思い浮かべて、そうなると強く信じた。
だから、日々の報告をしてくれる看護師さんにわたしは言った。
母の日までには退院できますよね。
明快な返答はなく、それが事態の深刻を如実に物語っていたのだが、わたしは希望にすがった。
母は助からねばならない。
そう強く念じ続けたが、母の日を前に厳しい状況にあると医師から連絡があった。
なんとか助けてくださいと最初は懇願したが、やがて状況を理解して、少しでも楽にしてあげてくださいとわたしは家族を代表して医師に伝えた。
母は帰ってこず、その笑顔は胸の内だけのものとなった。
ボックス席に座るわたしの前には、小学生くらいの女子が座っていた。
三宮あたりの塾に通うのだろう。
電車のなかでテキストに目を落としている。
だからわたしはこらえた。
いい歳したおっさんが電車のなかで涙を流すわけにはいかなかった。
そのとき、ちょうどいいタイミングでメールが届いた。
家内からだった。
待ち合わせ場所は北新地、予約した店は吾一とのこと。
涙はまぶたに留まって、流れることはなかった。