KORANIKATARU

子らに語る時々日記

食の感動と喜びが波打つ場所

空の青と木々の緑が明るく映える快晴の朝、家内は芦屋へと出かけ、わたしはその間、武庫川を走った。

 

家内の行き先は阿部レディースクリニックで、先日、ヨガ仲間にも同院を勧めたという。

院長がほんとうに優しく、何でも話せて励まされて元気になる。

もうここしかない。

そう喜ばれたというから、かねてからの家内の持論が証明されたようなものであり、家内は得意気だった。

 

昼前に家で合流し、身支度を整え駅に向かった。

この日は、いよいよ待ちに待った北野坂木下の予約の日であった。

12時一斉スタートであるから遅れぬよう少し早めに家を出た。

 

だから、塚口駅でお客様と電車が接触したとのアナウンスをホームで耳にしたとき、不安がよぎって夫婦で顔を見合わせた。

 

が、すぐに気づいた。

人命と昼食では重さが全く異なる。

遅れるかもといった嘆きなど、嘆きに値しない。

こんな天気のいい土曜日、誰もが幸せに過ごしている訳ではないのだと厳粛な気持ちになった。

 

宝塚線は不通のままだったが神戸線は間もなく動き始めた。

三宮駅で降り小走りで北へと急ぎ、なんとか開始時間に間に合った。

 

初っ端から期待を上回る出来栄えで、感嘆させられ、そして次々感嘆させられた。

全8席の客がみなそうなるのであるから、北野坂木下は食の感動と喜びが波打つ場所と言ってよかった。

 

素材が厳選され、仕上がるプロセスが凝りに凝って奥深い。

だから、それら珠玉の結晶が口に運ばれる度、息を呑むような嘆息が漏れるのは当然のことだった。

 

特にこの日のカニとエビは素晴らしく、甲殻類への愛さえ芽生えた。

 

そして終盤にメインのステーキが供されて、あまりにやわらかくて皆がとろけて、ある女性客がひと言漏らした。

「若い女の内股みたいにやわらかい」

 

男が言えば眉を顰められるような話であろうが、美味しさで全8席の客に感動の一体感が生まれていたから、そんな言葉もすんなり受け入れられて、なるほど内股ねと皆が頷き肉を頬張った。

 

デザートのチーズケーキもびっくりするくらいに美味しく、皆が口々に美味しい美味しいと言って、ここまでくればカニかまぼこが出されても絶賛するのではないかというくらい、客全員の美味感覚が全開になっていた。

 

まさにアートの域。

天才という他なく夫婦で絶賛し、次回の予約を頼むと来年の6月だという。

安本会の場として土曜日の貸切を頼むとまったく空きがないというから、キャンセル待ちに希望を繋ぐことにした。

 

店を後にするとき、店主に言った。

よいお年を。

 

来年の6月某日。

ここに希望の灯がともって、そこに至る長い時間がまるごと全部明るく照らされた。

2022年4月23日昼 神戸 北野坂木下