この日も家内とともにジムに向かった。
だんだん部活といった様相を呈してきた。
家内がキャプテンでわたしは部員といったところだろうか。
仕事を終えた夕刻、有意義な時間が積み重なって、末永く続く。
数年もすればわたしは見違えることになるだろう。
ジムを終えての帰途、西宮のパル・ヤマトへと赴いた。
屋上の駐車場にクルマを停めて外に出た。
山から吹き下ろしてくる風が実に気持ちいい。
眼前に甲山が見え、その愛らしい佇まいを写真に収めて息子たちに送った。
地元のシンボルであり、幼い頃はそこでしょっちゅう遊んだから故郷を語る際には欠かせない。
甲山にしばし見入り昔日を偲ぶ二人の姿が頭に浮かぶ。
カートを押して家内の後に続く。
パル・ヤマトは魚がよくて肉もいい。
今夜の夕飯にするイカを買い、週末のための肉をいろいろと選んだ。
帰宅して、ワイングラスを傾け家内はNetflixでドラマを選び、わたしはノンアルで過ごして積み上がっている新聞に目を通した。
息子たちから家内にあててメッセージが届いた。
無事に試験を終え、彼らは共にくつろぎのなかにあった。
つまり、家族四人全員がこのときそれぞれ平穏に安らいでいたのだった。
家内が言った。
食事がカラダを作る。
そう思うから、息子らがいたとき料理を作るのが喜びだった。
確かに当時、今よりはるかに多く家内は台所であれやこれや作っていた。
息子らを東京にやって以来、ほぼ毎月東京を訪れているが、八月はここに留まる。
会いに行かずとも、息子らが帰ってくる。
僅かな滞在日数であっても、そのときを逃さず家内は腕によりをかけて料理をたくさんこしらえるだろう。
大学生であっても家内にとって子どもは子ども。
食事がカラダを作る。
家内の思いは変わることがない。