運動量が減少し、友だちへの声掛けの回数もめっきり少なくなっていた。
このところジム通いを再開し、運動が不足していたことを痛感した。
なんと不健全なことだろう。
カラダを動かせばカラダだけでなくメンタルも整って、戦闘能力が増す。
そういう意味で、運動は仕事に不可欠と言えるから、仕事の質を上げる努力を怠っていたようなものであった。
そして、友だちへの声掛けもこのところ絶えていた。
家内が先日、芦屋の阿部レディースクリニックを訪れた。
阿部院長は優しい。
だから家内の雑談の相手までしてくれて、あんな話をしたこんな話をしたと家内がわたしに報告してくれる。
それでわたしは思うのだった。
わたしより女房の方が33期と頻繁に顔を合わせている。
昔は迷惑も顧みず、飲みに行こうと皆にわたしの方から声を掛けていた。
それがまったく途絶え皆と疎遠になりつつあるのだと、女房を通じて気づくことになった。
ジムの後で買い物を終え、駐車券をもらいに走る家内の後ろ姿を見て思う。
当たり前のように一緒に過ごし、家内がわたしにとっていちばん仲のよい存在と言える。
女房がいるからわたしは独りではなく、滞っていたジム通いも女房に背中を押されて再開を果たし、友だちへの声掛けについても女房がきっかけを与えてくれたようなものである。
その後ろ姿にじっと見入って、ここがこの女房のいる世界でよかった、そうしみじみと思った。
クルマに乗っての帰途、助手席に座る家内が声をあげた。
長男からの連絡と二男からの連絡がほぼ同時だったとのことで家内は言った。
やはり、兄弟。
いつも同じタイミングでメッセージが届く。
たまたまとは思うが、そうとは口にせず、わたしは言った。
やはり兄弟、母を想う時間まで一緒になるのだね。
いま長男も二男も試験中で、ともに勉学に励んでいる。
学生時代、怠け者王者であったわたしは彼らの真剣さにただただ驚く。
息子たちから寄せられた経過報告を家内が教えてくれる。
法律系の難度の高い科目を兄も弟も制覇して、山場を越えたとのこと。
兄弟で伝えてくる内容も似通っていて頼もしさも同様。
試験が終われば夏休みに入り、まもなくうちの子どもたちが、この家に帰ってくる。
二人の姿を思い浮かべると、ふんわりとした幸福感に包まれる。
で、改めて気づいたのだった。
長男も二男も女房がいてこそ出会えた存在なのだった。
またもわたしはしみじみとした感慨の世界に引き入れられていった。