宛先を事務所にしていたつもりが、自宅に届いた。
A4コピー紙を6箱、のべ15,000枚をクルマに積んで、その他、事務所に届くはずだったお菓子類3箱も同乗させて家を出た。
月曜日、なんとなく気分がすぐれない。
なぜだろう。
ああ、息子がこの日、東京に帰ってしまうのだった。
先日、二男が朝一で帰京し、この日の午後、長男も帰京する。
だから家に帰っても、息子たちはもう家にいない。
つまり、いい歳してわたしは「さみしい」と感じ、それで気分が晴れないのだった。
家内の方はもっと気抜けした状態になるのではないか。
そう案じていたところ、息子を見送ったあと、事務所に姿を現した家内は至って元気で明るかった。
やはりいつものとおり。
やりきった感があればさみしいとは感じないのだろう。
彼らが滞在中の料理はすべて中身濃厚で、家内の母業全盛期時代を彷彿とさせた。
それにどのみち来月にはまた会って、再来月には上京しその次の月も同様。
そちらに目を向ければ、さみしいとの思いはたちまち薄れる。
やはり地動説が正しく、さみしさを寄せつけぬよう、くるくると回っているのはわたしたちの方なのだった。