朝六時、起きてすぐ二男が帰京の途についた。
勝ち進んでいればあと数日滞在する予定であったが、負ければもうここに用はないのだった。
玄関で家内がステーキの包みを新聞紙にくるんで息子の荷物の上に差し入れた。
だからポストを探してもその日の新聞が見つからない訳である。
家の前で記念写真を撮ってから、朝日が静かに差し始めた東の空に向いて歩く二男の背を夫婦で見送った。
夏場でも走れるよう体重を削ぎ落としてはいても、その背は広く体幹はしっかりとしていて、特に下肢の筋肉の充実には目を見張った。
もはや子熊ちゃんではないのだった。
二男を見送ってすぐ、家内が朝食の支度を始めた。
まもなく長男が起き出してランニングに出る。
しっかりと食べさせないといけない。
そう思う母の行動様式は息子らが子熊ちゃんであった頃からまったく変わらない。
長男については体重を削ぎ落とす必要が全くない。
足腰は太くどっしりとしていて、年々厚みを増す上半身は見惚れるほどに逞しい。
やはり、原因と結果。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
単に結果を求めても結果は得られない。
よい原因を作るよう、原因に働きかけてはじめて結果が生まれる。
家内の行動様式は一貫して地道に原因に作用するものであった。
原因にフォーカスするからこそ、分厚い結果がもたらされた。
そういう意味で、かつて家内をあてこすった人物とは正反対と言える。
在り方を試すかのように、人生においては正反対の行動様式の人間が配される。
家内をあてこすった人物はイージーに結果だけを求めるような人であった。
だから結局、ニセブランドと嘘八百で身を飾るといったなんとも切ない、求めたはずのものからはほど遠い結果に帰結したのだろう。
長男がぺろりと朝食を平らげて、朝のロードワークに出かけて行った。
昼からは友人らとジムでワークアウトし、午後はシェラトン都ホテルで開催される西大和の同窓会に参加する。
先日、徳島でわたしたちが買ってきたシャツを着ていくという。
たゆまぬ努力を重ねる友人らとの再会は、よい原因どうしの交流となって、息子にとってこれまた大きな糧となる。