今日はしんどい。
一日くらいさぼってもいいのではないか。
そう思う一方、ジムに行けば充足感が得られることも知っている。
二つの思いに引き裂かれ迷いに迷う。
が、家内がさっさと支度して、当然といった風にわたしを目で促すので、選択の余地はないに等しかった。
で、泳いですぐにカラダは喜び、気持ちが弾んだ。
こうなるのは分かっていた。
気重なのは最初だけで、一歩踏み出せば、心模様がガラリと変わる。
倦怠感はたちまち消えて、筋トレする頃には笑みまで浮かぶのであるから、つくづく思う。
いっときの気分で物事を決めては事を誤る。
しんどい、だから休む。
そんな風に単純に物事を決めるのではなく、よりよい意思決定のためには、「間」に生じる変化をも見越して判断しなければならない。
しんどい、しかし動けば気分も晴れやか、満ち足りる。
充実した日々を求めるのであれば、せめてそこまで見通したうえで意思決定すべきだろう。
たとえば、飲酒でも同様。
仕事を終えた夕暮れ時、ビールを飲みたいと平日だって思う。
が、ここで炭酸水を飲むといった「間」を介在させれば、飲みたい気持ちは潮が引くみたいに消え失せる。
あるいはまた、朝の寝起きのときも同様。
起き抜けはだるく、何もやる気がおきない。
が、コーヒーでも飲んでいるうちに力が募って意欲が湧き出してくる。
起き抜けに物事を決めるのとコーヒーを飲んだ後で決めるのとでは、雲泥の差、まったく別人がするような意思決定となる。
状況は「間」を経て変わっていく。
だから、ちょっと間を置く。
これが人生を左右するほどに大事な心得だということが、この歳になってだんだん分かってきた。