かつて年末は激忙だった。
街はイルミネーションで飾られ、その一方、締め切りに追われる心は暗く荒涼としていた。
ここ数年、人手が増えてその憂鬱がめっきり軽減されていた。
ところが、ここにきてまた煩忙の度がぶり返してきた。
大口の契約が前へと進み、それだけでなく年の瀬にかけやることが目白押しで、身中にみなぎる緊迫感がカラダを強張らせてどうしようもない。
頭の中で発した憂慮が血流に乗って全身を巡り、動悸は押し鎮めようがなく、血圧もあがって巡り巡って頭がのぼせたようになって、これぞまさしく悪循環というものだろう。
そんなわたしを助手席に乗せ、家内は運転しながらいつもどおり元気快活でその言葉の尽きることがない。
年末の食事の予定やら、買い物のことなど、あれやこれや家内は話すが、仕事で頭がいっぱいのわたしは空返事すらままならない。
が、次第、頭の中にかすかに灯ったイメージが血流に乗って全身を巡り始めた。
暖かい部屋着を買ったのだとご満悦な家内の表情や、家で楽しげに用事する家内の姿が思い浮かんで、そんな場面が頭を起点にわたしのカラダのあちこちへと運ばれて、まもなくカラダがほぐれてのぼせた感は消失していった。
大名行列さながら、確かで暖かな日常がぞろぞろとカラダを徘徊し、憂慮は虚妄と正体も顕に見事駆逐されていったのだった。
他愛がなくてもカラダを巡るのはよいものの方がはるかにいい。
幸せに暮らしてよいイメージが山ほどもある。
おかしなものが体内に兆せば即座、鬼は外、福は内とそれらよきイメージを頭頂部から全身へと行き渡らせる。
そう心がければ、よいものの居場所として寿命も大きく伸びるのではないだろうか。