さて、仕事後に何をしようか。
夕暮れの街をぶらついて目についた飲み屋の暖簾をくぐる。
カウンター席に腰掛けて、まずはビールから。
迷いなく、これがいちばん。
理想の夕刻と呼ぶにふさわしい。
過去を振り返っても、わたしはしばしばそのように過ごしてきた。
だから、いつだってそんな図が頭に浮かぶ。
が、人生も半ばを過ぎ、わたしはそれを振り払うことができるようになった。
一杯飲んで、それでどうなる?
そう自問する。
それからどうなる?
自問を続ける。
上機嫌に飲んで帰って、カロリーを過剰に摂取し頭は朦朧としている。
胸に巣食うのは自責の念である。
その悔恨の時間に焦点を当て、それを別の自分の姿で置き換える。
ジムを終えて意識は明瞭、全身に力がみなぎっている。
満足感を胸に、更け行く夜の静謐のなかわたしを本のページを繰る。
わたしは少し強くなり少し賢くなる。
つまり戦闘能力が増す。
実に素晴らしい。
では、仕事の後はジムで決まりだろう。
このようにして、わたしはこの日も仕事後にジムへと赴きたっぷり運動してから帰宅した。
もちろん家ではノンアルを手にした。
家内が新鮮な魚介を準備してくれていたからこんな日はビールが美味いとは思うが迷わずわたしは静謐の方を選択する。
しかし毎日これでは溜め込んだ抑圧が暴発しかねない。
だから週の後半は自制の重しを取り除く。
今週であれば木曜あたり。
ジムが休みで、仕事で帰りが遅くなる。
ここではじめて、胸の片隅に押しやった居酒屋の光景を解き放つ。
このように、二つの夜が並び立ちなんとか日常の均衡が保たれている。
コツを要約すれば時間の焦点を移動させること。
目先にだけ焦点を合わせると、その後に生じる自己嫌悪の念を見過ごしてしまう。
いったん時間を早送りしそこに生じる嫌悪を直視する。
それから時間を巻き戻す。
そして、このような焦点の移動は、仕事でも運動の際にも効果を発揮する。
例えば30分目一杯泳ぐとして、目先の時間に囚われてしまうと時間が過ぎず、息継ぎの際に目に入る時計は遅々として進まず、まだあと25分もあるのかと気が滅入る。
そんなときも視点を先へと移動して、いまを意識せぬよう時計には目をやらない。
気づけば残り10分で、充実のラストスパートを敢行できる。
仕事でも同様。
ボリュームのある仕事の場合は特にそう。
終わったあとに焦点を結べば完成形が目に浮かびそれだけで気がほっと落ち着く。
そしてそのイメージが最短距離へと導いてくれる。
あとは眼前に拓けるプロセスをまっすぐ進むだけ。
このようにどこに焦点を合わせるかで過程と結果が様変わりする。
人に備わる超能力のようなものと言えるかもしれない。