KORANIKATARU

子らに語る時々日記

反射神経は生まれつき鈍かった

先日、神戸で昼を食べていたときのことである。

 

カウンター席だけの手狭な洋食屋で、客はみな厨房に向いて座る。

背中側に畳一畳分くらいのスペースがあって、客はめいめい無造作に手荷物をそこに置いていた。

 

わたしのかばんには大事な書類が入っていた。

だからわたしはかばんを背にせず、両足で挟むようにして地べたに置いた。

 

ひとりの中年女性が会計を終えて店を出て行って、まもなく「忘れもの、忘れもの」とつぶやきながら荷物を取りに戻ってきた。

 

そこらに無造作に置けば忘れることもあるだろう。

そんなことを思って、その時点でわたしはそれを日常のありふれた光景としか認識していなかった。

 

たまたまひとりの女性が食事の手を止め後ろを振り返った。

で、言ったのだった。

「それ、私のものですけど」

 

それで客全員が一斉に振り返った。

 

「忘れもの、忘れもの」と言って店に戻った中年女性は、「あら、勘違いしちゃった」とおどけたような仕草を見せた。

そして買い物袋にかかった手をすばやく引っ込め、くるりと背を向けそそくさと店を出ていった。

 

客全員が狐につままれたようにその背を見送った。

荷物を背にすることの不用心に皆が気付いて凍りついたのだろう、しばらく店内は静まり返った。

 

もし持ち主がそのとき振り返らなかったら、何事もなかったように、誰の意識にもとまらぬうちに荷物は消え去っていたことだろう。

 

このように、いつもどこかに手癖の悪い人が潜んでいる。

悲しいことではあるけれど、そう思って間違いない。

だからかばんから目が離せないし、コートも傘もうかつにそこらに置いたりできない。

 

ああ、そう言えば。

ネットの世界でも同様のことがあった。

かつて家内を当てこすった人物は、誰か他の人のブログの写真を拝借しそれをさも自分のモノのように見せ悦に入っていた。

 

減るものでもあるまいし。

画像であれば罪悪感は生じないのかもしれないが、洋食屋で他人の荷物を盗ろうとした女性についても「忘れもの、忘れもの」といった軽い感覚と見て取れて、胸に罪悪感のざの字もないだろう。

 

わたしは足に挟んだ自分のかばんに意識を向けた。

金目のものは何も入っていないが、誰かに持ち去られたらショックはどでかい。

 

で、思ったのだった。

その中年女性は窃盗の常習者に違いなく、ちょっとした出来心でこれまで少なくない数の人を泣かせてきたのではないだろうか。

 

せめてその場で中年女性を咎めるくらいのことはすべきだった。

「勘違いにもほどがある。あんた、ちょっとは持ち主の気持ちを考えた方がいい」

 

もしかしたらそんな言葉で今後の手癖に多少なりブレーキがかかったかもしれない。

やはり黙って見逃すべきではなかったのだろう。

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