家内がメッセージを送った。
お相手には子が2人いて、ともに小学生。
いま子育ての真っ最中である。
うちの子が小学生だった頃のことに触れて相手を励まし、家内は最後にこう締め括った。
過ぎ去って痛感します。
子育ての日々はほんとうに尊い時間でした。
わたしはその言葉にじんと来た。
渦中にあっては分からなかった。
振り返れば、なんとドラマチックな歳月であったことだろう。
自分自身のエピソードなど薄っぺらい。
しかし、子のエピソードになると、お腹に宿ったときからはじまって、産声、入園入学、数々の試合、入試本番と合格発表など、どの時期どの箇所をとっても分厚く濃密なものとなる。
しかもそれら数々のエピソードの行間にもかけがえのないミニエピソードがぎっしりと詰まっている。
経てきた全日程が記憶の中で屹立するような立体感をもっていまも褪せることなく息づいていて、だから、わたしたち夫婦の内面世界のハイライトはほぼすべて子どもたちのことで占められているといっていいだろう。
ただ、子育ての真っ只中においては心配事が絶えることなく、ハラハラドキドキのし通しだったから、回想にふけってしみじみするといった余裕からはほど遠かった。
すべて収まるところに収まった。
そう安堵したのは下の息子を東京へと送り出した後のことであり、そこに至ってようやく親としての役目を一通り終えたとの感慨にふけることができるようになった。
いつか終わってその思い出が、不滅とも言えるほど永続的な癒しとなる。
子育ての時間についてそうと知っていれば、もっとあの時間に果敢に没入し、味わい尽くしておけばよかったとも思う。
そうすれば、その不滅度もいや増しとなっていたに違いない。
助手席に座って、家内が送ったメッセージに目をやっているとそのうちクルマが家に到着した。
前の公園では小さな子どもたちが元気いっぱい走り回っている。
同じように走り回っていた息子たちは、いま東京で別々に暮らしているが、ほぼ毎月、家族四人で集まって一緒に食事する。
このおまけの時間が子育て期に増してなお愛おしい。
今回、ここを走り回っていたやんちゃ坊主たちとの再会は桜満開の頃となるだろう。