金曜は断続的に小雨まじりで土曜は午後から雨といったように天気に水を差される東京滞在となったが、日曜は一転、雲ひとつない晴天に恵まれた。
朝6時にホテルのプールに出かけ、泳ぎ終えて部屋に戻ると、家内が荷詰めに取り掛かっていた。
天気がいいから、外で遊ぼう。
家内に促され、わたしも急いで支度した。
部屋には正午まで滞在できた。
通常、ギリギリの時間までホテルでゆっくり過ごすから、わたしはそのつもりだった。
しかし、晴天が家内を呼ぶのであるから仕方がない。
わたしたちは朝9時にはホテルを後にした。
芝公園から地下鉄に乗り日比谷で降りそこから東京駅まで歩いた。
東京駅周辺は大勢の観光客でごった返していた。
もうコロナ禍は過去の話なのだった。
わたしたちは荷物を預け自転車を借りた。
多くのランナーを横目に皇居外苑を南へと走り、途中、日比谷公園を散策した。
少しひんやりしていたが、徐々に日が高くなってほどよく暖かく、生きているだけで最高と歓喜したくなるような快適さを感じた。
ヒトにとってもっとも過ごしよい空気感と言えた。
緑が多く広々としていて胸がすく。
朝から動いて正解だった。
虎ノ門に到着し自転車を返し、昼食の時間まで軽くお茶してくつろいだ。
昼を済ませ、後は歩くことにした。
汽車の時間が午後7時半だったから、時間はいくらでもあった。
千代田線を使い、谷中へと向かった。
昨夏、長男の下宿先を探す際に通りかかり、一度は覗いてみようと思っていた街だった。
谷中銀座を埋め尽くす人出の多さに驚きつつ通りを歩き、ちょうどつつじまつりが開催されていたから根津神社にも寄り、買いたいものがあるというからそこから大きくサイドチェンジし東西線を使って中野へと向かった。
中野の賑わいも相当なものだった。
単に中野であるはずなのに、ここだけで大阪屈指の繁華街である梅田や難波の人出を凌駕していたのではないだろうか。
ここまでで歩数は23,000歩を記録していた。
もちろん足は棒のようにパンパンで、だから前回の横浜同様、汽車に乗る前に足つぼマッサを施してもらうことにした。
予約した八重洲近くのマッサージ屋へと向かい、そこでしばらく順番を待った。
わたしたちの前で待つ青年が施術者に迎えられ、そのセラピストがとても明るい雰囲気の老女だったから、わたしたち夫婦の頭にはドリフのコントが思い浮かんだ。
志村けんが老いたセラピストに扮して青年を困らせるようなコントがこれから繰り広げられる。
そう想像するだけで気分がほぐれた。
わたしと女房は同世代であり、わたしたち皆にとって志村けんは偉大な存在なのだった。
夫婦揃って60分コースを申し込み、そして同時に施術を受けた。
足が張って腰まで重くなっていたから、ケアされて極上の心地よさを感じた。
やはりかつてのようにたまにはもんでもらわないといけない。
そう思った。
施術を受け終え、家内も大喜びだった。
セラピストの腕がほんとうに上手だったようで、次もその女性に頼むという。
名前を忘れぬよう、その場で語呂合わせし「技術高すぎ高杉さん」とその名を刻んだ。
あとは帰るだけ。
車中の宴の食材を大丸で買い、飲み物は紀伊国屋で調達した。
駅構内でワインを飲んで、やがて定刻。
汽車に揺られて心地よく、終わりよければすべてよし。
終始快適だったとの記憶と共に、今回の旅も締めくくられた。