ノリが異なる。
語数が多く、全く言葉が途絶えない。
やはり、そう。
この日、家内は月一度のヘッドスパを受けていたのだった。
施術師はカリスマ的存在で、一度列から外れると予約が取れない。
だから予約の命脈が尽きぬよう、毎月欠かさず施術を受けるということになる。
効果はてきめんで元気さに拍車がかかって、二万語の凄味が増す。
こちらはただただ気圧されて、合いの手を入れる間さえ見いだせない。
ここ最近、長男の顔を見ていない。
だから、ちょっと行ってくる。
家内はそう言った。
この3月、わたしはただひたすら忙しい。
だから同行し難い。
そう伝えるが、そもそものはじめからわたしは勘定に入っていなかった。
汽車やホテルの予約をすれば、お疲れさま。
それでお役御免となるようだった。
各種用事を早々に片付け一区切りつけたところで、家内が東京へと単独で赴く。
いわば最強のお世話係が参上する訳であるから、わたしにしても心強い。
部活に学業にインターンにとトップギアで突っ走る長男はいまピットインするいとまもない。
だから家内が腰を上げるのも時宜を得た話であって、やはり母と子。
言葉にせずとも何か呼応するものがあるのだろう。
部屋は片付き整然となって、着衣は新品同様の清新さを取り戻す。
布団は太陽の香をふんだんに含み、住居が新居同様に生まれ変わる。
加えて、美味しい食事が多々供されるのであるから、まさに復活をことほぐ春の宴が出来するも同然といった話となる。
わたしが次に訪れるのは来月になる。
2月、3月と機会を逃した家族全員集合が実現する4月、東京に吹く風には初夏の匂いが微か含まれていることだろう。