この時期にしては珍しく冷え込んだ。
前日、ブルゾンを買おうと言った家内は無意識のうちこの冷え込みを予測していたのかもしれない。
衣替えを終え上着類は出払っていたので、新品のブルゾンをはおり、午前中、豊中での業務に入った。
朝起きて、スキイチの持ってきたプリンをひとつ食べたきりであったから、昼にかけかなりの空腹を覚えた。
大の男がプリンひとつで出先業務を乗り切れるわけがないのだった。
業務を終え事業主に駅まで送ってもらった。
ちょうど昼どき、わたしは周辺の店を物色した。
冷え込む日、選ぶとすればラーメン以外に考えられない。
食べログの地図で探し、目と鼻の先にあるラーメン屋へとわたしは迷うことなく歩を進めた。
わたしのなか喜びの最上位に食が来る。
カウンターに腰掛けて、いまかいまかと注文した品の到来を待ちわびた。
まもなくねぎ玉ラーメン大盛りがやってきて、鼻先ひとつ遅れてチャーシュー丼が姿を見せた。
手に取るなりわたしは麺をすすって、飯をかき込んだ。
ああ、わたしは煩悩の塊。
この図を見ればそう断定せざるを得ないだろう。
そしてこれがこの日のハイライトで、あとはいつもと変わらぬ時間がいつものように過ぎていった。
事務所に寄って仕事を片付け、夕刻は家内とともにジムへと赴き、夜はノンアルにて夕飯を済ませた。
食後、家内は英語の勉強に勤しんで、その音読の声やらオンラインレッスンの様子をBGMのように聴きながら、わたしはリビングで本のページを静かに繰った。
今日一日だけに着目すれば空腹にてありついたラーメンこそが印象深いが、長い時間を見渡して人生を俯瞰したとき、おそらくこんな何の変哲もない時間こそが名場面として屹立するのだろう。
だから人生の最後、ふと頭に浮かぶシーンがあるとすれば、ねぎ玉ラーメン大盛りではなく、リビングで過ごした静かな時間の方であるに違いない。