ちょっとした楽しみが仕事を彩る。
この日、豊中で業務があってクルマを使った。
頭に浮かぶのは帰り道に通りかかるラーメン東大のことだった。
業務後はそこで遅めの昼食をとることに決めていた。
頭の片隅にあるラーメンが光を放って業務を後押しし、その前途をくっきりと照らした。
だからあっさりつつがなく業務は完了をみた。
ご褒美として替え玉をトッピングし念願であったラーメンを食してから帰宅するとヨガを終えた女房も家に戻っていた。
ここ数日にわたって準備した食料がキッチンに勢揃いしていて、一望して毎度のことながらその分量に驚きを隠せない。
グレイトチキン、鳥清の鶏皮ポン酢、フロインドリーブのシュトーレン、りんごと柿、鮭にうなぎ、各種焼肉といったラインナップのひとつひとつにわたしはいちいち目を見張ってから箱に詰めるのを手伝った。
荷物をクルマに積んで配送センターまで運び、ひとつは高円寺、もうひとつは本郷へと発送し、これで完了。
一日の主たる任務を終え、続いて今度はジムへと向かい、いつものとおり泳いで筋トレに励んだのであったが、この日は特別、ジムのフリースペースで家内から柔軟体操の手ほどきを受けた。
家内の手助けを受けながらぎこちなくカラダを伸ばしたり折り畳んだりしながら呻き声をあげ、まるでじゃれ合うようであると思いつつ、わたしは遠い昔に思いを馳せた。
家内の陣痛が始まったのはこの日からさかのぼってぴったり二十年前のことだった。
何事もなくテレビを観ていたのに、急に家内が産気づいた。
そろそろだろうと思って長男を実家に預けていて幸い。
取る物も取り敢えず夜の十時過ぎに大慌てでクルマを走らせ産科医院へと向かった。
着いてわたしは待つ以外にすることがなかった。
分娩室の向こうから断続的に響く家内の呻き声を聞きながら、わたしは待合室の薄暗がりのもと、ただただじっと息子の誕生の時を待った。
そしてその時に手にしていたのがいま携わる業務の手引書だった。
ああ、なんと象徴的なことだろう。
わたしは駆け出しで、そのとき修得しはじめた業務がいまの暮らしの土台を形作ることになるなど当時はまったく想像すらできていなかった。
夜通し息子の誕生を待ちわび、空が白み、窓の外で鳥が鳴きはじめたとき、突如、産声が一帯に響き渡った。
その雄叫びをもってわたしたちは晴れて四人家族となって、その先に控える幾多の戦いに臨むことになるのだった。
あれからあっという間に二十年が経ち二男がこのたび二十歳になった。
なんと感慨深いことだろう。
ジムを終えて帰宅して、この日はふたりともノンアルで過ごした。
豚しゃぶの鍋を囲み、締めにひと玉の中華麺を二人で分けた。
あのときわたしは三十三でいま五十三。
眼前にいるのは家内であって今も昔も変わらぬが、歳の分だけいろいろと豊かになったような気がしないでもない。