平日と変わらず土曜日も朝からヨガへと出かけ、午後はジムにてトレーニングをこなした。
いくら行動派の家内とは言え過負荷ではないだろうか。
案の定、日曜はいつもの時間になっても家内は起き出してこなかった。
ぐっすり寝かせてあげようと、わたしは一人で食事を済ませジムへと向かった。
秋を思わせる涼風が街を吹き抜け、本来であれば武庫川を走ってその空気を堪能したいところであったが、あいにくまだ捻挫が完治していない。
だから自重し、この日も水泳と筋トレで一汗かくことにしたのだった。
しかしさすがに金曜から3日連続ともなると筋トレをキツイと感じた。
それでもなんとか踏ん張ってやり抜き、つくづく思った。
誰に強いられる訳でもなく、自由に過ごしていい土曜であっても日曜であっても自らをその修練の場へと投じるのであるから、普通に考えればもの好きにもほどがあるというものだろう。
うすうす感づいてはいたが、やはりこんなわたしであっても楽をするため生きている訳ではないのだった。
だから幾つになっても、わたしは仕事に精を出すのだろう。
それが生きる芯のようなものであるから、もし万一しんどいと思ったところでそれを失っては元も子もなく元気もなくなって日々が成り立たなくなってしまう。
やりきった充足感にひたって晴天の秋天のもと自転車を駆って家へと戻ると、クルマがなかった。
入れ違いで家内はジムへでも出かけたのかもしれない。
そう思っているとまもなく「荷物を運んで」とのメッセージが家内から届いた。
階下に降りクルマのドアを開けると後部座席が食料で埋まっていた。
両手に荷物を引っ提げ二回に分けて二階まで運んだ。
息子に送るための食材だった。
夕飯にする春巻きを片手間で作りながら、家内は息子へと送る料理の支度に本格的にかかり始めた。
なるほど家内も同じ。
家内も楽をするために生きているのではなかった。
疲れていたはずだからこの日曜をのんびり過ごしてもいいはずなのに、誰に強いられる訳でもなく、手間暇かかる料理づくりに家内はその身を捧げるのだった。
振り返ればずっとそう。
誰かのため何かのため、楽など後回し。
いつだって家内は額に汗するファイターなのだった。