一体何年ぶりのことだろう。
寿し おおはたの席にありつけた。
寿司はおおはただけで十分。
そう言っておおはた一筋を貫いてきた安本先生のおかげ。
ほんとうにありがたい。
サガラさんも含めこの夜は男三人、至極の鮨を味わって日本酒を楽しんだ。
睦まやかに語り合ううち、わたしの中にひとつのイメージが湧いた。
こうした交流のピースが幾つも織り重なって、わたしたちの場が編み上げられている。
時を経るごといろいろな場面を乗り越えて結びつきは強固さを増し、いつしか「場」は岩盤化への道筋を辿っていった。
今に至ってわたしたちは、わたしたちで構成する大陸の上で心安らかに過ごしているようなものと言えるのではないだろうか。
その対極をイメージするなら、風雨に晒される波間の小舟といった図が浮かぶ。
どちらがいいかは明らかなことである。
無意識裡にそういった対比があって、だから知らず知らずそれが子育てにおいても主題になった。
生きるうえで不可欠なそんな地盤の基礎が得られますように。
ラグビーをさせたことも中学受験をさせたことも、振り返ってみればそんな願いが底流を成していたように思える。
寿司のコースが終わって最後、大将が特別な山崎を開けてくれ、森先生の分まで注いでくれた。
皆でグラスを交わし合い、その計らいにわたしたちは涙した。
いついつまでもわたしたちはこの大陸の上で共にある。
次回は8月。
今度は女房を連れて、寿しおおはたを訪れる。