巨大なビュッフェ会場のなか、わざわざ隣のテーブルにやってきたのはわたしたちが日本人と見越してのことだろう。
目が合って自然に会話が生まれた。
歳はわたしたちと同じくらいだろう。
その韓国人夫婦はしょっちゅう旅行し、日本だとよく東京を訪れているとのことだった。
わたしたちも時々ソウルで遊ぶから、両国の似たような夫婦がバルセロナで出くわした、といったようなものだろう。
ビュッフェで食べる分量もごく僅かで、そこもわたしたちと共通していた。
それぞれ出発の時間が迫っていたからさっさと食事を済ませ会釈し別れたが、またどこかで再会するに違いない。
朝9時からカサ・ミラを見学した後、日本で言えば銀座だろうか、わたしたちはグラシア通りを散策し、旅の思い出にわたしはシャツとTシャツを買い、家内はニットを選んだ。
で、この日の昼は予約が必須の名店だった。
カタルーニャの地の清涼な風に吹かれながら足を延ばし、開店時間の13:00ちょうどに訪れた。
ちょっとした高級店でそれが客の着る服に表れていた。
料理は感嘆禁じ得ないレベルでとびきりおいしく、わたしたちはじゃんじゃか飲んで食べ、バルセロナに外れなしと痛感するに至った。
ちなみにお代は日本円で28,000円くらいになった。
続いてタクシーを拾ってピカソ美術館近くのツアー待ち合わせ場所に向かった。
バルセロナもオーバーツーリズムなのだろう。
道がかなり混み合っていた。
運転手は久保や中村俊輔の話をし、彼らを絶賛した。
スペインでは大谷ではなくサッカー選手が話題にあがるのだった。
ピカソ美術館をみてまわり、数多い作品群のなかキュビズム誕生の分岐点を目の当たりにし、さて夕飯は近くの名店を予約していたが昼に食べ過ぎていたので残念ながら見送った。
息子らへのみやげの追加を求めタクシーをつかまえPull & Bearに向かい混み合う店であれこれ買って、客待ちのため停車していたタクシーに乗り込んでホテルに戻った。
夜、パッキングなどしているうちお腹が減って町へ出た。
下町の地元の食堂といった装いの店を選んだ。
カタルーニャ料理が懐かしいような、心落ち着く優しい味わいで旅の締めに格好と思えた。
明日は帰国。
そろそろ日本が恋しく、寿司や焼肉などが夫婦の頭をめぐりはじめていた。
あの韓国人夫婦の場合であれば、チヂミやビビンバが頭を駆け巡るのだろう。