飛行機の時間が朝10時だったから7時半にはホテルを出てタクシーに乗り込んだ。
街が動き始める時間帯、バルセロナの街路を目に焼き付けるように車窓の向こうを眺めているうち、半時間ほどで空港に到着した。
まずは自動認証マシンでタックスリファンドの手続きを行った。
スペインで買ったものは一瞬で手続きが完了したが、同じEU内であるヘルシンキで買った品については窓口の列に並ぶ必要があった。
しかもいちいち買ったものを見せなければならなかったから、時間がかかった。
わたしたちの前に並ぶおじさんは風采の上がらない雰囲気であったが、キャリーケースの中から出てきた品がシャネルやロエベだった。
人は見かけに寄らないのだった。
ようやく手続きを終えて荷物を預け身軽になったが、出発の時間が迫っていたのでゲートへと急いだ。
空路3時間でヘルシンキに到着した。
トランジットの時間を楽しもうと空港内で家内とシャンパンで乾杯し、北欧の思い出に残るメニューとしてサーモンのスープを頼んだ。
マリメッコなどで買い物しこれらにもまた免税手続きが必要で空港ゲート前の列に並んだ。
フィンエアーのゲートは空港内の奥まった場所にあった。
ソウル行きのゲートがあり、続いて、ニューヨーク行き、羽田、成田、関空行きと各行き先のゲートが隣り合って、大勢の人が出発の時間を待っていた。
待つ間、家内が話しかけたのはポーランド人夫婦だった。
結婚14年目ではじめて旅する海外が日本で、大阪京都奈良横浜東京でのべ14日間過ごすと話す奥さんはとてもエキサイトしていた。
今回の旅行のため日本語を習ったとのことで、ワタシはブルカからキマシタ◎◎デス、と自己紹介もしてくれた。
搭乗して席に座ってスリッパに履き替えた。
うちの女房は非常にできた人で、簡易スリッパをかばんに忍ばせ、ホテルや機内でわたしに差し出してくれるのだった。
往路では機内食もとらずただただ眠った。
睡眠がこれから迎える旅への備えのようなものだった。
復路は東行きなので時間が失われる。
その分、ジェットラグが避けがたい。
だから寝た方がいいとは思うが、やっと帰れるというウキウキ感があって結局ほとんど眠ることができなかった。
空席があったので広く使おうと二席を空けて家内と隣り合い、その家内は映画を見続け、わたしは音楽を聴き続けた。
昔なつかしの音楽をぼんやりと聴き、目に浮かぶのは過去のあれやこれやで、そんな記憶に手繰り寄せられるようにわたしは少しずつ少しずつ日本へと近づいていった。