伊勢へとお参りする際にはたいてい勝負がかかっていた。
全身が緊迫感でぐるぐる巻きにされたようなガッチガッチの状態で、受験だから真冬の頃、早朝から赴いた。
最初は中学受験のとき。
長男のときも二男のときも、社を順々に巡りながらその行方について夫婦で話し込んだ。
話は行ったり来たり。
夫婦で同じ話ばかり繰り返していた。
要は神頼み。
互い懇願するような心境であったのだった。
結果論と言えばそれまでであるが、結局は最もしっくりとくる結論に行き着いた。
そして続いては大学受験。
長男のときも二男のときも、気を揉みながら各所で手を合わせて頭を下げた。
東大の試験をラストに控え、前哨戦として早慶に臨む日程について、ああでもないこうでもないと夫婦で話し、図々しくも虫の良すぎる結果を乞い願った。
蓋を開ければ長男のときも二男のときも同様。
早慶の全学部に合格できるくらいの実力でやっと半分通るのが実情という激戦であり、東大受験は甘いものではまったくなかった。
そうであっても、いま思えばそれぞれほんとうによい導きを得られたと心から思う。
そんな伊勢であるが、いまはもう緩んで楽な気持ちでお参りできる。
なにもかも神様のおかげ。
遠い異国を訪れた後、次に日本で旅するなら伊勢をおいて他にない。
そのように夫婦で意見が一致し、この週末、夫婦で近鉄特急に乗って伊勢までやってきたのだった。
乗る度にタクシーの運転手が、神の国伊勢の成り立ちなどについて教えてくれた。
もともと天照大御神は奈良に祀られていた。
疫病が流行ったことをきっかけに当時の天皇とは別の場所へとのお告げがあって、それで伊勢の地が選ばれた。
生涯に一度はお伊勢参り。
日本人であれば誰もが目指す神域がそうして生まれたのだった。
猿田彦神社の横を通りかかったとき、猿田彦大神の奥さんが舞踊に長け歌がめっぽううまかったという話になって、運転手が神様たちに実に親しみをもった感じで話すから、それら登場する神々にありありとした実在感が伴った。
家内が選んだ昼食の店は地元では知らぬ者のない名店だった。
タクシーの運転手も当然、その店についての評判を詳しく知っていた。
伊勢であるから伊勢海老を食べ、鮑もいただいた。
ついでにステーキも登場したから凄まじいようなご馳走と言えた。
聞けば先代が志摩観光ホテルにて高橋料理長のもと働いていたとのことであった。
伝説の名シェフのエッセンスが先代を通じありありと受け継がれ、そりゃなんでも美味しいわけである。
そのように伊勢の良き物語に触れ、わたしたちは自身の物語を顧みた。
で、寄る年波。
昼にしっかり食べると夕飯はもはや入らない。
家内はエステを受け、その間、わたしはサウナにこもった。
我が国の源流を成す伊勢志摩の一角にて。
奥深い物語に思いを馳せて過ごす静かな時間は格別のものであった。