火曜の夜、仕事を終えると家内から電話が入った。
どこかで合流しようと誘われるが、わたしは吹田にいて、家内は奈良を出るところだった。
待ち合わせるにふさわしい店がにわかには思い浮かばず、その時点で空腹極まっていたわたしとは対照的に家内の方は食欲はないとのこと。
だとすればわざわざ合流する意味がないではないか。
どのみち家で顔を合わせることになる。
それで結局、別々に行動することにした。
吹田だからわたしの足はまっすぐ鮨こにしへと向いた。
暖簾の間から中を覗き込むと混み合うなかカウンターに空席が2つだけあって、わたしはほっと安堵し引き戸を開けた。
ひとり寡黙に美味しい寿司を味わい、聞こえてくる話にそれとなく耳を傾けた。
シアトル留学中に接した商社マンたちの暮らしぶりが凄かったとの話が興味深く聞くともなし聞いて、そのうち隣席は医師の先輩後輩だと分かった。
その時点でもしやとわたしは思った。
まず先、後輩の方が東大寺出身だと分かった。
そのうち先輩の側から、サレジオ会やらサッカーの円陣での掛け声が「ドン・ボスコ」といった話が出たから、その時点で案の定「身内」だと判明した。
そもそもわたしが鮨こにしに通うようになったのは星光33期である天六のいんちょに連れられたことがきっかけだった。
だから身内が出会うには鮨こにしは実に自然な場所と言え、さも当然といった形でわたしは話しかけたのだった。
聞けばご子息が70期と73期だというからますます身内で、阪神間に住んでいるとのことであるからご近所で、甥っ子が芦屋ラグビーに通っているとの話になって、いくらでも話す内容が増えていった。
女房を待たせているから長居もほどほどに「積もる話はまた今度」と挨拶し、わたしは席を立った。
なるほど、似たような者たちは似たような場所で飯を食う。
そういう意味で鮨こにしは今後引き続き良き出会いの場所になっていくことだろう。
次回は是非とも家内を連れ、機会あれば33期と誘い合わせ鮨こにしを訪れようと思う。