豊中での業務を午前中に終え午後、本町を経て夕刻には事務所に戻り、夜、北新地へと向かった。
東梅田で降り地下街を進むと、軒を連ねる店はどこも大勢の飲み客で盛り上がっていた。
地上からは見えない。
梅田の地下は気炎万丈な飲み客が蠢いているのだった。
北新地で地上に上がり、指定された店の開き戸を引いて中に入るとタコちゃんがすでに座っていた。
やあやあとビールで乾杯し近況を語り合う時間がはじまった。
そしてどこを経ようと話の行き着く先は同級生である33期のことで、場所は北新地であってもどうしたってやはり教室で一緒に話しているような雰囲気になるのだった。
話題となる面々はだいたい決まっている。
そんな常連メンバーが呼び水になって登場人物が増えていき、すでに亡くなってしまった同級生も含め懐かしい顔がずらりと並び、へえ、そんな話があったのかと過去に光が差して同級生の面影の立体感が増していく。
過ぎ去ったとは言え、あの時間はわたしたちを構成する不可分な要素であることに変わりはない。
だから過去にもおりおり水をやる。
とても大事なことだろう。
ちょうど今年はかねしろ内科開院5周年にあたる。
それにかこつけて集まるのはどうだろう。
来年7月には衆参同日選挙が行われるのかもしれない。
大阪14区支部長である塩川憲史さんは大阪星光53期で慶應卒。
何も心配いらない。
しかし大阪15区支部長である我ら33期の島田智明くんはどうなのだろう。
やはりまた集まらねばならない。
店は素晴らしかった。
さすがタコちゃんが選ぶだけのことはある。
京野菜をあしらったサラダなど格別で、比内地鶏の焼き物が香ばしく味わい深く昔話にいい具合にマッチした。
締めの親子丼にとろけてお開き。
店を出るときタコちゃんが「奥さんに」と鶏めしを持たせてくれた。
なんて優しい男なのだろう。
家に持って帰ると家内はたいそう喜んで鶏めしの一つを夜食にし、もう一つはおにぎりになって、家内は次の日それをジムのお供として携えた。
タコちゃん、いつもありがとう。