わたし自身は正規分布の左側にどっぷりつかる。
縁があってたまに右側に顔を出し、だんだん馴染んで当初感じた気後れは徐々に薄れていった。
が、その差についてまるで見失う、といったことはない。
その証拠、わたしは右側の面々を自慢に思い、それをときおり口に出す。
たとえば寿司屋のカウンターで述べる星光の誰それは凄い、といった話がその一例である。
で、たまに並び合った客が灘出身だと分かってもそれで勢いが削がれることはない。
差の歴然を喜びと感じるわたしなど可愛いようなものだろう。
人の世に混じった犬が自分を人間だと思い込むように、中にはその気になって語りだすといった者もいる。
世に絶えない学歴詐称や経歴詐称というのは、そういった混同に端を発するものなのだろう。
身近に知るあの虚言の者は、まさにその典型と言えるかもしれない。
最初はちょいと人の衣服に袖を通してといった軽い気持ちだったのだろうが、そのうち近しい誰かになり切って、ディティールも精緻に平気な顔をして嘘を並べる。
それがバレぬよう、だから、わたしたちに対して吠えたのだろう。
やはり身内であればこそ、その力量は拮抗しているくらいがちょうどいい。
差が著しいと、それを喜びと思えない限り時に諍いが生じてしまう。
潜む勝ち気が身内に照準を合わせると、人間関係の解体は時間の問題ということになる。