「人気ですよ、とても評判がいい」
打ち合わせの際、そう告げられて嬉しいが、その一方で頬をつねりたくなるような気持ちにもなる。
こんな虫の良すぎる話があるものだろうか。
あれこれ苦心して営業するのがこの生業の常であるから、大手の医薬品卸会社からクリニック顧問の引き合いが絶え間なくもたらされる今の現状は、なんというのだろう、ツイているとしか言いようがない。
帰途の電車に揺られ、頬をつねったような面持ちのまま来年以降のスケジュールや今後の事務所陣容を考えていると長男からメッセージが入った。
賞与が振り込まれたとその画像が添付されていた。
慶應の学費2年分を払って余りある額を目にしてわたしはただただ驚いた。
社会人二年目の小僧にしては上出来すぎる。
これで二男も社会人へと合流すれば、三人寄れば文殊の知恵ではないけれど、男三人合算して我が家の貧乏時代は晴れて終焉を迎える。
心の中で、わたしは左右の頬をつねる他なかった。
で、心の中に目をやってそこに浮かんだのが母の面影で、それで合点がいった。
ああ、やはりわたしたちは母に守られている。
こんなにもあれこれ恵まれているのは、母が付いているからとの理由以外考えようがなかった。
そのように一日の終盤、母を思って過ごし、この日もお酒を飲まずに夕飯を済ませた。
江坂のつちやを訪れた次の日、6月23日からお酒を飲まず、ワイン会があった6月28日だけを例外に、以降も飲まずこの日、7月5日に至った。
この先の人生、もうこのまま飲まずに過ごしていいのではないだろか。
日に日にそんな気持ちが強まっている。
三十代や四十代ならいざ知らず、まもなく55歳になって残りはせいぜい約25年。
この25年を意識も明瞭に大切にしたい。
人生の終盤は我を通し、好きに過ごすのでいいではないか。
結論は明白になりつつあった。