KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子どもはちゃんと見ている


西宮北口のイタリアンへ行こうと主張する家内の意見を却下し立花の正宗屋に向かう。
夏に向け日中の気温が増していくこの季節、働く男子はワインよりも瓶ビールであろう。

かつては阿倍野の正宗屋にちょくちょく立ち寄っていたが、帰り道にあるのだから自然と立花の方を選ぶことになる。
味も同レベル、甲乙つけがたい。

おすすめの刺身から始め家内の趣向で野菜料理など注文するが手作りかつ素材が新鮮であるからだろう、ハズレはなく美味しさを十分に堪能することができた。


帰宅後、チビチビと竹鶴のオンザロックで口湿らせながら「画家と庭師とカンパーニュ」というフランス映画を見た。
いい映画であった。

時間が経つほどにじんわりと感動が深まっていく。

画家はかつての級友であった庭師と出会い、さりげないような交流を通じて、大きく変わっていくことになる。

ラストシーン、画家が描く絵画は、それまでの迷妄したような抽象画から、庭師が内包していた質実で明るい美の世界を反映したものとなっていく。
庭師が有していた確かな世界が絵を通じ蘇るようであり、そのシーンを思い返すと涙腺がゆるむ。

人と出合うことの意味について、絵が物語る。
なんと粋な表現手法だろう。

絵を見て泣ける、そんな体験ははじめてのことであった。

先日の日記「いい塾の定義について甲子園球場で語り合う」で、塾はとどのつまりは具体性でこそ評価されるべきだと書いたけれど、少し補足しなければならないようだ。

先生という生身の人間と交流するのだから、その関係を通じ、「画家と庭師とカンパーニュ」で描き出されたような、子のうちに内面化され深いところに残り続ける何かがあった方がいい。
先生が生徒に対し、具体的に何を教え何を上達させたのか、それも重要ではあるが、あくまでそれは一側面の話であって、最も大事なのはその心にどんな良きものを残したか、ということであろう。

そのことに触れず教育は語れないだろう。


強烈な若手営業マン集団がいる。
売ることにかけて人後に落ちないと自負するものたちの集団で、素材さえあれば如何様にも売ってみせるという自信に満ちている。

営業の腕前で格付けがなされ、トップ階層はカリスマ同然の影響力を有する。

新人はまずカリスマらがテープに録音した営業トークを四六時中聞かされ書き取りをさせられる。
何パターンもの口上が何も考えずとも口からスラスラ出るようになれば後は現場に駆り出され実地訓練を積み上げていく。

しかしカリスマの言葉をそのまま真似ても全員がうまくいくということにはならない。

売上の成果を上げる者がいる一方で、大半は鳴かず飛ばずいつまでたっても結果が出ず、最初は丁寧に手取り足取りしてくれた先輩たちが、あるときを境に手のひらを返す。

見込みなしとされた者らはアホボケと自尊心ズタズタに蹴散らされ情け容赦なく切り捨てられていく。

こういった「人の態度の急変」に見舞われることは耐え難いようなことである。
傍観者ながらその場面に遭遇した際、人というものに対し悪寒走るほどの恐怖を覚えた。

利用価値がなければ冷酷に切り捨てる。
このような掟に貫かれる場というものが存在しているのである。

そして、獅子の子落としという語が良き意味合いで使われることからも分かる通り、教育の現場はこのような涙ちょちょぎれるほどのサディズムといつでも背中合わせなのである。


二男が修学旅行の話をしてくれる。

広島原爆の惨劇について語り部の話を聞いて、慄然としつつ先生の反応はどうだろうと目をやると、なんとコクリコクリと眠りこくっている。

二男は何か重大なものを目にしたと思った。

修学旅行について記事を書く課題があり、二男は迷わず広島の惨劇について話す語り部とその話を前に居眠りする教師について書いた。

しかしもちろん、その記事は教師に書き直しを命じられる。
そんな内容を父兄参観の際、掲示板でさらす訳にはいかない。

長男の修学旅行の時は往復のバスの隣席が校長先生であったというエピソードを聞かされ、その窮屈で気詰まりな道中の様子を思い浮かべ微笑ましく聞いたのであったが、二男のエピソードについては笑えるところがない。


昨夜、西宮北口の名店「田舎」で鷲尾院長とおでんを食べた。

来院者の立場になって診察するというスタンスで一貫する鷲尾先生であり、わしお耳鼻咽喉科を訪れる誰に対してもそのような姿勢を崩さない。
そして、これは子供相手でも同じである。
付き添いの親にだけ話すのではなく、診察椅子に腰掛ける子どもの目を見て子ども自身にも語りかける。
鷲尾先生は言った。
「子どもはちゃんと見てるんですよ」

そうなのだ。
子どもはちゃんと見ている。

そのことを知って多くの大人が襟を正せば正すほど、子らにとっては好作用に与れるより善き社会ということができるだろう。