KORANIKATARU

子らに語る時々日記

懐かしの51号館と奇想天外な20年

51号館の前を通りかかったのは5月6日の朝7時33分。

神楽坂から早稲田に向かって歩き、本部あたりを散策したのち、懐かしの理工学部へ足を向けたのだった。

この辺りに家があったら食堂でもやってみたい、というようなことを朝の散歩についてきた家内が言う。

学生が押しかけ大盛況となる食堂の様子が目に浮かぶ。
現在、「キッチン家内」の固定客は私と息子二人の計3人のみであるが、この界隈で食堂開けば間違いなく流行ることだろう。
儲かるのかどうかは知らないが。

学習院女子大の前を通り、明治通りを渡って戸山公園の遊歩道に入る。
この辺りを生活圏内にしていたのは20年以上も昔のことであった。
思った以上に記憶が薄れている。

第一、本部から理工までこんなに離れいるとは思わなかった。
行けども行けども一向に理工学部は姿を見せず幾度も家内に道が間違っているのではと指摘され、かつて何度も歩いた当の本人なのに、見当違いの道を歩いているのではと疑念覚えるほど記憶はおぼろとなっていた。

手前に新宿スポーツセンターが見え、ここでたまに泳いでいた今は亡き小川くんの記憶が蘇る。
立ち止まり、これが私たちの神殿だったのだよと家内に注釈加えつつ、理工の51号館を見上げた。

様々な記憶が溢れ出してくる。
当時のあれやこれやが、湧き出て眼前に現出するかのよう。

そして、何とも頼りない未開の荒野もどきの若き私が現れるのであった。
目も合わせたくない、コテコテの自意識が暑苦しい、懐かしいような親しみを感じつつも、もういいからどっかへ行ってくれ、というようなものである。

そこを離れてやっとのこと、こっ恥ずかしく少しばかりは息苦しいような思い出から解放される。

明治通りに出て、新宿方面へ歩く。
空の青みは増すばかり、風がほどよく冷たく、歩けば歩くほど心地いい。

途中、家内と珈琲ブレイク。
家内と話しつつ不思議な感慨にとらわれる。

当時、ここらを根城としていた頃には逆立ちしても想像できない未来を今、生きている。
誰を伴侶とし、どのような家族に恵まれ、どんな仕事をし、どこに住む、すべて予想の範疇を越えた結果に至っている。
当時と今が地続きであること自体が信じがたい。

これは実に面白いことである。

この先の20年も、予想を覆すような奇想天外な出来事に彩られるのであろう。
予想は覆されるのであるから、あまり神妙に考えても仕方がない。

何が来るかな、何が来るかな、吉凶についてつべこべ思い悩まず、おおらか楽しみに待つだけのことだろう。

良きことの方が少し多い、そんな20年であればそれで十分満足だ。

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