KORANIKATARU

子らに語る時々日記

リラックスできることが最大の元気の源


台風11号が接近中とあって風が強く時折雨が激しく窓に打ちつける。
いつにも増して二号線は混むはずだ。

木曜夕刻5時。
早めに切り上げることにした。
いつも通りFMココロでマーキーを楽しみながら帰途につく。

家に着くと待ってましたとばかり二男が私にテストの束を見せてくる。
今日テストが一斉に返却されたのだという。
一枚一枚その出来映えを確認し、平静装って今後の課題について話す。

引き続き長男が階下に現れ成績表を差し出した。
相好崩すことなく事務的に今後の課題と次回の目標について確認する。
まだまだこれから、ヘラヘラしている場合ではない。

オーディオをオンにしピアノステーションを流す。
コールドプレイのサイエンティストを奏でるピアノと TheUnsungHeroine の歌声がとてもいい。
交感神経は一日の役割を終えた。
副交感神経が統治する安らぎの時間に身を浸す。


前菜はメカブの酢漬け。
歯応えがいい。
続いて豚豆腐。
おくらがたっぷり入り、梅干しも顔をのぞかせている。
レンゲですくって出汁とともに味わう。
豚肉が柔らかくてとても美味しい。
疲労が癒えていく。
そして、肴は、さわらの塩焼き。

子らも美味しそうに食べている。

彼らの口は肥えている。
例えば、冷蔵庫で冷えるムレスナの紅茶のフレーバーについて、これはチョコ風味だね、これはメロンだ、バナナだ、マロンだね、と的中させる。

私は味音痴。
言われてみれば確かにそうだが、言われなければ判別できない。

紅茶に限らずどのような料理であっても食材や味付けについて彼らは微細な違いを感知し何が使われているのか正確に言い当てることができる。
家内がそのように育てたとしか言いようがない。


そろそろ水キムチが欲しいね、と家内に言う。
夏であれば水キムチの清涼さが欠かせない。

しかしこのところ上本町に足を運ぶ機会がめっきり減って、あの界隈で食材を求めるということがない。

長男に続いて二男も上六の塾に通っていたので、かつては常連のように通い夏にひときわ美味しい水キムチを絶やすことがなかった。

大原商会については、以前この日記でも取り上げたことがあるが、そこらのキムチ屋とは一線を画する。

店主は名門大学の理系出身だ。
会社がつまらなくて、キムチを作ると一念発起した。
野菜、水、漬け方、すべてにこだわった究極のキムチを目指し、今時点でさえとてつもなく美味しいのに、更に品質を進化させ続けている。

数量に限りあり、今や押しも押されぬ人気店なので遅くに行けばその「作品」にありつけない。

しかし、店が軌道に乗るまではたいへんであった。
コンビニで深夜にバイトなどして食いつなぎ店を維持してきた。

余談であるが、店主同様、子も優秀。
今年、子息は難関中学への合格を果たした。

あの界隈、昔の名残りなのか高貴なお土地柄の方々のなかには見下す方もお見えだが、よくよく見れば揃いも揃って教育熱が高く、皮肉なことに、そこら山の手のお坊ちゃんお嬢ちゃんより遥かに賢い少年少女が群れなし走り回っている。


スノビズムについて子らに話す。

アメリカの映画を見ればよく分かる。
黒人差別を戒めるメッセージを作品中、随所に盛り込む国柄だ。

例えば、「ザ・ヘルプ」や「ザ・ブラインド・サイド」などの映画を見れば如実である。
のぼせて気取って人を見下すお馬鹿を、痛烈なほど滑稽に映し出す。

スノッブなことの痛々しいようなカッコ悪さがビジュアルで一目瞭然理解できる。

見ておくべきだろう。
ご機嫌麗しく、こっ恥ずかしいお馬鹿を丸出しにするようなことは回避できるし、そのような愚にもつかない選民思想から距離を置けるようになる。


食後、二男がガーデンズで映画でも見ようと誘ってくる。
アベンジャーズでもターミネーターでもどちらでもいいという。

タイムテーブルを見ると、8時台では吹き替え版しかない。
映画の終了が11時を過ぎる場合、保護者同伴でも未成年者は入場できずレイトショーは諦めるしかない。

吹き替え版なんて興醒めだ、これが家族の総意なので、今夜は見送るしかない。

それで、ちょうどケーブルテレビで放映されていた「ジョニーイングリッシュ」を見ることになるのであった。

007をパロディにするにしても本気念入り。
エンディングの歌まで007レベル。
飽くことなき笑いへの執念。
完成度の高さに舌を巻く。


寝床で本を読む。

先日、橘玲氏のブログを読んでいるとホルモンについて取り上げた記載があった。

男子の「意欲」を司るテストスロンというホルモンは、20代をピークに年齢とともに下降するが、大手企業の男性会社員においては、40代や50代の方が、60代より少ないというひずみ現象が生じているという。

中高年が相当なストレスに苛まれている結果だとしか考えられない。
会社での責任は増し逃げ場はなく、住宅ローンや教育費など家庭での出費が増えていく。
60代になって一息つけるまで疲弊し続け、元気の素は失われる一方という苦しい状態がやまない。
この現象は、中高年の自殺の多さとも無関係ではないだろう。

何とも身震いするような話である。
データの出典を見ると「ホルモン力が人生を変える」。

その昔、私も読んだ本である。
書棚から引っ張り出した。
私が40歳になる前に買ったものであった。

当時、私はパワーを必要としていた。
仕事量が凄まじく、あの手この手、元気保って意気軒昂であるための方策を探っていたのだ。

「ホルモン力が人生を変える」には、元気ホルモンを活性化させるための食材などの記載があって、料理の参考にしてよと家内に頼み、そうできないものはサプリなどを集めた。

そのように必死に過ごしていた時期が懐かしい。
今は自分に無理せず、少しずつでも前に進めたらそれでオッケー、小さな勝利で大勝利なのだと自らに言い聞かせ一日一日を過ごしている。

そして至って元気、快調だ。
結局、あれこれ方策練るよりも、そのような心がけ自体が、最大の元気の源となるようである。

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