KORANIKATARU

子らに語る時々日記

未来を先食いする者たち

日脚が伸び夕刻間近となってもまだまだ明るい。
春を思わせる光量の日差しを真正面に受けながら西へと向かう。

女性は一日二万語発話する。
わたしは徹頭徹尾の聞き役。
イヤホンで何かの放送を聴くみたいなものである。

芦屋あたりに差し掛かったのがちょうど日暮れ時。
ここで折り返しもと来た道を東へと戻る。

夙川を過ぎた頃、ちょうど二万語に達したようであった。
口数が減ったそのタイミング、通りは騒然とし始めた。

上空をカラスの大群が飛び交っている。
天変地異でも知らせるかのような騒ぎぶりだ。

これほど大挙するカラスを目にしたのは初めてのことであった。
空に異物が巻き散らかされたかのようである。
何とも不吉な黙示録的景色のなか気圧されるようにして進む。

急襲されれば丸腰のわれわれなどひとたまりもない。

身をこわばらせつつも何とか無事にそこを過ぎることができた。
わたしも発話し始める。
ラジオ局と聴視者の間に対話が生まれる。

今度一緒に来ようという店を通りに見つける度、話のトピックは明後日の方に向かうが、すぐに子らの話題に戻っていく。
子らに端を発する昔話が、子らを矢として突き進む未来の話へとつながっていく。
子らが長じるほどその矢が伸びて話題はますます矢に尽きる。

その点において一致している。
ふたりの間に矢が生まれ、それがぐんぐん強く大きく成長していく。
それが嬉しいから自身のことなどどうでもいい。

遥かに興味深い存在がそこにあれば、自身に注目している場合ではないとなる。
互いの意見が一致していて幸いであった。
ふたりの間に矢が生まれ、それが育つのであれば自身のもらいなど僅かであっても構わない。
そうそうと頷く人が大半であろう。

もちろん世は人それぞれであって各自において重きは異なる。
いい歳になってまで、わたしが矢なのだ、伸びるのはわしが先だとハッスルしまくりの向きも大勢いるであろうし、だからわたしたちとは正反対、子に託そうとするどころか、子の取り分まで先食いするような方があっても何ら不思議なことではない。

そもそも日本経済自体がまだ生まれてもない子らの取り分をも先食いしているようなものである。

見上げれば、幸福を先食いしようと舌なめずりする一群が目をキラリ光らせ空を舞っている。
まるで悪魔に魂売るみたい、うたかたの虚飾と引き換えに未来を献上する人が後を絶たない。

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