走り終えて風呂を上がる。
遅めの夕飯の時間、二男が言う。
「パーフェクト・センス」が面白かった。
イギリス映画である。
食後、ひとりリビングでDVDをセットする。
このところは走った後で炭酸水をがぶ飲みするのでビールを受け付けなくなった。
神の河か角瓶。
ロックを片手に映画世界に入っていく。
何らかの感染症かはたまたテロリストによる化学兵器攻撃か。
嗅覚を失う人が続出し始めた。
続いて味覚が失われ、聴覚が失われていく。
原因は分からない。
感染症であることを想定し政府は拡大防止を図るがその流れを食い止めるにはいたらない。
為す術がないまま人々の五感が一つ一つ失われていく。
観ている方も五感が一ずつ失われていく喪失感のようなものを覚える。
不自由極まりなく窮屈であり息苦しい。
そして、失うことによってそれが在ることの恩恵について深く知ることになる。
嗅覚は思い出に結びついている。
雨の匂いや草の香りなどが感情に直結し人の内面に堆積している。
嗅覚がもたらすものは果てしなく深く大きい。
映画のなか人々は味覚が失われても食事を楽しもうとする。
食材の味が分からずとも料理の食感や色合い、その温かみを楽しむことができる。
その様子を見つつ、甘味や旨味などといった味覚のあることの豊かさについて思い至ることになる。
聴覚もしかりであり、視覚もそう。
それらが在ってその感覚に向き合えることの僥倖を痛感することになる。
五感について再認識する上でとてもためになる映画であった。
五感は心の窓のようなもの。
目の保養という言葉もあるが、せっかくならば、生理的な嫌悪を喚起するようなものではなく、なるべくいいもの、心地いい気分とさせてくれるものに触れていたいと、五感をいたわるような気持ちとなった。