内に闘志を封じゴトゴト煮込む際にはエミネムの音楽がもってこいだろう。
戦意を小出しにしてしまえば小物丸出し、かなり迫力不足となる。
主人公に感情移入しながら、闘争心の火は内にくべるものであり、外に漏らすものではないのだと教えられた。
週末夕刻、ひとり自室で「サウスポー」を見た。
ボクシング映画である。
いい映画はその作品自体を味わえるだけではなく、自らに置き換えて考える数々の視点を与えてくれる。
主人公の課題は「怒りの暴発」であった。
防御なし、攻撃一本槍というボクシングスタイルで勝利を重ねてきた。
しかし、その在り方が限界に差し掛かる。
ボクシングという一側面に訪れた壁ではなかった。
そうであれば単なるスランプだ。
彼に立ちはだかった逆境はそんなものではなかった。
人生そのものの意味が覆ってしまうような重大事として身に降りかかった。
それを境に人間模様が様変わりする。
金の切れ目が縁の切れ目となり、しかしなかには味方となって支えてくれる者もある。
身内かどうかとは別の話だ。
捨てる神あれば拾う神あり。
わたしたちは誰が味方で、誰がそうではないのか、虚心に見据えておく必要があるだろう。
身内だと思った相手が実は全くそうではなかった、そのときに泣き言を垂れても始まらない。
味方がなければ主人公に浮かぶ瀬はなかったにちがいない。
彼は見事にどん底から這い上がる。
その過程で、自らの人生の課題を克服していく。
主人公の変貌を一言にすれば、ディフェンスを身につけた、ということになるのではないだろうか。
ガードを固めて闘うといった、単なるボクシング・スタイルだけの話ではない。
ふつふつと湧き上がる闘志を内に秘め怒りを制御する。
コンディションを整えたんたんとトレーニングを積み重ねていく。
透徹した表情には凄みさえ漂い、いや増しとなった強さを裏付ける。
最強の敵を向こうに回して、もはや引けをとるなどあり得ない。
終盤に温存する秘策が功を奏することも間違いない。
最後には、主人公と一緒に涙すること避けられないはずだ。
いい映画だった。
生きた智慧を映像にして注入されたようなものである。
この先、怒りに震える局面ではエミネムの曲とともに主人公の姿が浮かんでそれをエネルギーに転換できるだろうし、終盤の秘策についても温存できる。
何もラスベガスのリングだけが舞台ではない。
われら市井の民にとっては所帯じみたシーンであってもすべてがリング。
生き抜くためには、ディフェンスの術を修得することが不可欠だ。
決して見逃してはならない映画と言える。