雨の日曜、二男と過ごす。
近頃部活が楽しくて仕方ないといった話を聞きながらクルマを走らせる。
流れる音楽はノラ・ジョーンズ。
二男の選曲だ。
到着後は各自別行動。
わたしは一角で映画を見る。
北野武の「TAKESHIS’」。
初っ端から心掴まれる。
立ち現れるすべてのシーンが、北野武テイスト。
画面の向こうの作り手に、よっ千両役者と拍手喝采送りたくなる。
どの場面もきっかいな可笑しみに溢れている。
笑ってしまうシーン満載のなか、毛虫の着ぐるみがするタップダンスでは、涙ちょちょぎれる。
感動の感涙。
お見事としか言いようがない。
登場人物の主観が交錯し、立場と役割が目まぐるしく入れ替わって変幻極まりない。
その意識の融合が、世界の謎を解き明かすかのようであって示唆的だ。
意識に映る前段階、世界は混濁している。
日常においてはその混濁が補正され整合的な認識へと至る。
が、「TAKESHIS’」においては混濁の残滓がそのまま現実に侵入してくる。
自意識の眼鏡を外して見える世界の実相が北野武によって描かれる。
自意識でさえフィクション。
そうであるかもしれないと、心解きほぐれて肩の荷下りる。
北野武は天才だ。