タクシーを探そうと通りに出た。
新世界百貨店の前に一台停車しているのが目に入った。
予約待機中だろうか。
試しに手を挙げる。
静か滑らか動き出しそのタクシーはわたしたちの前にピタリと停まった。
探す手間が省けた。
出だしから幸先いい。
乗り込んで行き先を告げる。
初老の運転手は慎重な言葉遣いでわたしの告げた行き先を復唱した。
インチョン空港と確かに伝わったようだった。
その他の言葉は通じない。
沈黙続く道中となった。
が、ハンドルさばきが丁寧で安定感あって信頼おける。
助手席に座って命預けてとても快適。
手荒な運転がソウルでは標準仕様、そういった印象を受けていたので奇跡のような乗り心地と言ってよかった。
ソウル市街を抜け、寡黙な空間が半島西端の海岸へとひた走る。
特に目を引く景観はない。
味気ない風景がただただ後方へと過ぎ去っていく。
と、運転手がハンズフリー電話で誰かと話し始め、わたしはうたた寝から引き戻された。
内容は全く理解できないが、断片的に日本語が聞こえてくる。
高速通行料、高速通行料と運転手が何度か復唱している。
察しがついた。
道中、高速道路を使う。
その料金を請求する際、日本語で何て言えばいいのか。
運転手は同僚か誰かに電話で教えてもらっているに違いなかった。
初日に乗ったタクシーの運転手とは大違い。
初日の運転手は、料金窓口を指差してつべこべ言わず黙って払ってといった単刀直入さであった。
それに比べてなんと律儀なことであろう。
わたしは電話の会話に割って入り、高速通行料オッケーと運転手に伝えた。
これでお互い要らぬやりとりが省け、一瞬間、言葉の壁が取り払われることになった。
30年前、日本語を習おうとしたが、難しくてあきらめた。
そう運転手は日本語で言った。
しかし後に続く言葉が韓国語であったためわたしは理解できず会話はたちまち途切れた。
わたしは話題を変える。
ハンドル横に固定された運転手のiPhoneを指し、待ち受け画面に映る二人の小さな女の子について聞いてみた。
お孫さんですか。
はい、孫が二人だけいます。
その二人です。
運転手は日本語で言って、お孫さんの写真をいくつかスクロールし見せてくれた。
可愛いですね、とわたしは日本語で言うが、そんな簡単な言葉すら韓国語で言えないことを少し恥じるような思いとなった。
旅行するなら少しくらいは言葉について準備し学んでおくべきだった。
外国なのに日本語だけで押し通そうなど、不遜とでも言えるような話であった。
会話は続かずまた沈黙が訪れた。
運転手は音楽をセットし始めた。
二日目に乗ったタクシーの運転手は気を利かせて日本の曲を流してくれたが演歌であった。
また演歌かもしれないとわたしは身構えた。
流れ始めたのはショパンであった。
ショパンのノクターン第二番。
柔らかなピアノの旋律に陶然となって、寡黙な空間に静謐が訪れた。
まるで映画世界のなかにいるかのよう、目に映る光景が優雅で調和とれたものになり彫り深く含蓄あるものへと様変わりしていった。
まもなくインチョン空港。
隣国の方々への敬意と親しみの念が込み上がり、帰国直前になってにわか名残惜しいような思いとなった。
たった数日であったが充実の旅であった。
子ら二人も隣国の息吹に触れて大いに学んだに違いない。
また近いうち、再訪を期す。