着ぐるみを見て愛らしいと思ったことはない。
中に生身の人間が入っている。
着ぐるみがいくら楽しそうに跳ね回っていても、中の人の気分はどん底かも知れず、その労苦に思いを馳せれば、一緒になって無邪気にはしゃぐなどできるはずがない。
中に人が入っている。
そう教えた訳ではないが、うちの子らも着ぐるみに馴染むことはなかった。
大人世界の矛盾を感知し子どもながらに中の人を気遣うような思いが生じていたのだろう。
今朝の新聞に着ぐるみの中の女性が労災認定されたとの記事があった。
腕に激痛走って手の震えが止まらないというから深刻だ。
厚着というには着込みすぎとも言える恰好で、嬉しくもないのに腕振ってはしゃいで踊るなど、やはり生身の人間には荷が重い話であるだろう。
一人の施術者のことが頭に浮かぶ。
近鉄沿線某所、ひなびたような地が拠点であるが美容に効果があるとのことで人気を博し顧客が絶えない。
日頃の暮らしに何不自由ないような主婦らが顧客の中心を占める。
顧客に焦点を当てれば優雅な話であるが、視点を移せばその目と鼻の先には対極の世界が同居している。
朝から晩まで孤軍奮闘。
主婦らにかしずき施術をこなす。
数が勝負。
数をこなしてようやく生計が成り立つ。
尽くせば尽くすほど喜ばれ、喜ばれてはじめて明日が見える。
だから精根尽きる限界ぎりぎりまで出力全開、総力結集して愛想を振りまくことになる。
しかし、いつ下火となるか分からない。
効果のほども実のところ定かではない。
不安を押し殺し一日一日を乗り越えていく。
キラキラ主婦らは気分がいいので、そこにある非対称に感づくことはない。
ついうっかり施術者も気分がいいのだと錯覚してしまう。
彼我の差が相手の内なる鬱屈を増幅させる。
そう察知できる感性の者など少数派だろう。
中にいるのは生身の人間。
着ぐるみの中の心は汲み取られることがない。