ちょうど昼どき。
事務所を出てエレベータを使い一階に下りた。
エレベータの前で何人かの住人とすれ違った。
皆、身なりがよく、改めて感じたのであるが笑顔を浮かべて愛想がとてもいい。
このコミュニティを良きものにしたい。
そんな思いが伝わってくる。
マンションであれ職場であれ学校であれ、コミュニティの形成は共同作業と言える。
誰だって自分の属するコミュニティが良きものであって欲しい。
そのためには喜んで一役買う。
それが人の本質でもあるのだろう。
一階のフロアはやたらと天井が高い。
調度もいいし、受付女子の感じもいい。
解放感あって小洒落ているから気分もいい。
玄関フロアを出るとき、行ってらっしゃいと声を掛けられ、思った。
いま人間関係は円満で家族仲よく体調万全で仕事も順調。
一昔前の赤貧時代から見れば、この程度であっても歌って踊って軽やかステップ踏みたくなるほど満たされた日常と言っていいだろう。
が、実際は、歌って踊ることなどあり得ない。
一昔前と同様、手を替え品を替え倦怠感が相変わらず付きまとい、軽いステップどころか、階段を一歩また一歩とあがる感じも昔と同じ。
そうありたいとささやか願う状況に至ったところで、そこが無重力であるはずはなく、この生身のカラダは重苦しさを免れることはできないのだった。
一歩外に出た途端、真上から太陽が強く照りつけ、全ての厄介ごとが熱となってのしかかってくるように感じられた。
ふと、ため息が漏れた。
かつてに比べ、ため息の濃さと重さはマシにはなったのだろうが、それ自体絶えることはない。
誰だってそうなのだろう。
トンボだってアメンボだって勤め人だって自営業者だって専業主婦だって皆同じ。
それなり気苦労あって、それを背負って遠き道を行くが如し。
だから、やはり昔と同様、闘志が不可欠ということになる。
汗が滲んで、わたしはひとりで憤怒した。
心のうちで咆哮し、倦怠を一喝。
内に気合がほとばしり、超人に変身とまではいかないまでも、幾分かの倦怠は体外へと押し出されていった。
ここに至って、ようやく笑みが戻った。
やがて無となるそのときまで。
だましだましであれ、自身を奮い立たせて笑ってみせる。
嗚呼をかし。
それもまた人の本質なのだろう。