KORANIKATARU

子らに語る時々日記

一種の地層のようなもの

父が友人らとお酒を飲んで一夜明け、子は子の友人らとひらかたパークに出かける。

世代は異なるが同じ学校の者どうし。

 

つくづく思うが学校というのは皆が通って集まる場という以上の意味を持つ。

 

共通の体験が学校を通じて堆積し、一種の地層が形成される。

各自の記憶の断片はどれもこれもその分厚く集積した地層に属しているので、そこに着目すると、皆が実は深層部分で繋がっているという構造が浮かび上がる。

 

記憶の断片は卒業後の方が感度良く呼応し合うことになり、こんなこともあった、あんなこともあったと各断片が徐々に統合されて稠密度を増していく。

日を追って地層が盤石となっていく訳である。

 

つまりは、地殻それ自体がその後も運動しているようなものであり、結果、わたしたちはその都度、手繰り寄せられ、何度でも顔を合わせ互いの記憶を交換することになる。

 

大人になって以降、そんな地層が生成される場はどこにもない。

 

昨晩のシーンが思い浮かぶ。

高岡先生はお酒を飲まず、そのクルマでわたしたちは家へと送り届けてもらった。

同乗するのは近所に住む33期、岡本くんと谷口くん。

この日もいろいろな思い出を語ったが、はじめて耳にする話も少なくなかった。

 

今日、ひらかたパークで遊ぶ後輩らもいつの日か飲み会開いて集まって、各自知られざるエピソードを交換し合って大盛り上がりとなることだろう。

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2018年4月3日午後8:30 尼崎 志津鮨