愛情の度も言葉によって様変わりする。
例えば、孫という語につく内と外。
単に可愛いはずの孫なのに、つく字によってそのニュアンスに変化が生じる。
内孫となれば親近感が湧いてますます可愛く、外孫となるとなんだか遠い存在、あってもなくても大差ないという感じがしなくもない。
もちろん、孫を孫として猫可愛がりする祖父母においては、それを内と外で区分するなど思いもよらないことであろう。
うちの両親など息子の子であれ娘の子であれ孫なら溺愛といった様子で、その可愛さはどれもがMAX、そこに大小のつく余地はない。
どのみち外孫。
言葉によって心の奥底に冷めた感情が発生する。
そして実際、時間の経過とともに意味が固定化されていき、疎遠な関係がもたらされるのであるから、やはり言葉は侮れない。
わたしたちは言葉によって生きている。
恐ろしいことに、それが愛情さえも左右する。
言葉遣いについてはその帰結をも見通して慎重にならなければならない。
さもないと思いもよらぬ顛末を目の当たりすることになる。